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ポケドラSS

ゲーム系SSをまとめます

【ドラクエ】サンチョ「坊つちやん」

1: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 15:05:41.55 ID:1dmR7XxL0


 親譲りの無鉄砲で子供の時から無茶ばかりしている。
 父と旅をしていた時分一人で外に出て魔物に襲われたことがある。
 なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。
 別段闇雲に勇気を試したかったわけではない。父が人と大人の話をしていて手持ちぶさただったから外に出てみたというだけの事である。
 ただその時私はスライム相手にも手こずるようなひ弱であったから、一時に三体の魔物を前にしてすっかり怯えてしまった。
 近くに私の影が見えないことに気がついた父がすぐに駆けつけてくれたのでその場はどうにか収まったが、今度は父の怒声が飛んでくるかと腹を据えていると父の方はこれからは気を付けるんだぞ。と軽く窘めるだけでそれ以上私の蛮勇を非難することもなかった。
 元来父は気性の優しい男である。
 私はそんな父が大好きだった。


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2: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 15:06:44.23 ID:1dmR7XxL0

 今私はある聖堂の建設予定地で労働する奴隷の身分となっている。
 一応光の教団とかいう宗教団体の管轄にあるらしいが、どうもこの組織が気にくわない。
 名目上の教義では魔物の蔓延る下界から正しき人々を隔離して平和に暮らすことを掲げてはいるが、実態は人々をさらっては奴隷としてこき使い、あまつさえ魔物を上司に置くような暗黒の教団である。
 第一こんな胡散臭い連中にだまされる方も悪い。
 最近では方々でちゃちな奇跡なんぞを演じて見せて人々を誑かしているそうだが、あんなのはただの呪文の応用でそこいらの子供だって練習すれば十分再現できる。
 そんなことも見抜けぬとは余程学がないか、魔法系統に縁のない脳筋集団なのだろう。
 そもそも光の教団のようなものが生まれ、また大手を振って天下を渡り歩くようではいよいよ世も末である。

 

3: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 15:07:58.25 ID:1dmR7XxL0

 しかしそんな檻の外の世情に目を向けられる余裕があるのは私ぐらいなもので、ヘンリーのような奴隷仲間は今日日の生活の方がずっと大事なようであった。
 何しろ奴隷だから馬車馬の如く働かされる。しかも一般の労働ではないから給金などもない。
 娯楽や褒美もなく、ただ果てしなく働かされる苦痛の中では人の心など生きていけぬ。
 一人、また一人と落伍者が樽に詰められて華厳の滝へ流されていく中で、私とヘンリーはいつか必ず娑婆に出てやると気骨だけを頼りに踏ん張っていた。
 それができたのは互いに心を許せる友人を持ったからに相違ないが、もう一つ、我々がこの地獄で生きる希望を失わなかった理由がある。

 

4: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 15:09:26.06 ID:1dmR7XxL0
 奴隷を管理するムチおとこが本や雑誌等を牢の中に捨てることがあるのだ。
 文字の読めぬ輩はそれを尻を拭く紙にして捨ててしまうが、ヘンリーの様な教育のある人間がそれを押し留めて少ない娯楽として反芻する。
 隣からその様子を見ていた私は興味を抱き、ヘンリーに頼んで文字を教えてもらった。
 王族の直系であるヘンリーは嫌々とは云えある程度勉強をしていたので文字が読めた。
 しかし精々六歳くらいの知識だからあまり難しい単語は分からない。
 そこで同じ被教育に助けを借りる。今でこそ考えにくいが、この頃の牢には王族や貴族がそれなりに収容されていたのだ。
 もっともその大半は厳しい奴隷生活に耐えきれず死体となって外界の海と繋がる滝へ無期徒刑に処せられてしまったが。

 

5: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 15:10:10.66 ID:1dmR7XxL0
 文字を履修した我らは打ち棄てられた印刷物は本と云わず引札と云わず読み耽った。
 ある程度ものを読めば書きたくなるのが性分である。
 寝ているムチおとこの胸元からペンをくすねた我々は小説ともいえぬお粗末な散文を互いに読ませ合った。
 何分読むことだけは必死になって反復していたので形だけは立派だ。
 ヘンリーは派手な小説を好んでいたので砕けた文体だが、私はある小説家をえらく気に入ったのでそれを真似ている。
 色々なジャンルに挑戦しては批評を重ねる内、ある時過去の自分の体験談を書こうと云うことになった。
 六の年から奴隷として働いているので必定それより昔の話となるが、ヘンリーはいや、俺の生涯は今と変わらぬほど退屈だったから君が書き給えよと云う。

 

6: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 15:11:08.64 ID:1dmR7XxL0
 定例通り引札の裏や本の余白に書いていたが、思わず筆が乗ってしまって余白を使い切ってしまった。ペンのインクもかなり少ない。
 万事休すとなった時分、我々の目の前で女奴隷がムチおとこに虐められている。
 私は何が嫌いだと云って弱い者虐めをすることほど嫌いな事はない。
 奴隷の身分も忘れムチおとこに飛び掛かれば、ヘンリーも加勢して大騒動となった。
 ムチおとこは伸したが監査の兵士が何の騒ぎだと駆け付けたのでいよいよもって窮地に陥った。
 するとその兵士は倒れている女奴隷の介抱と我々を牢に閉じ込めておくよう命じた。
 我々はどうなっても構わないが女奴隷が虐められるのは酷だと思っていたので、兵士の裁量には感慨を覚えた。

 

7: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 15:11:56.45 ID:1dmR7XxL0
 牢で神妙にしていると先の兵士が我々を訪ねてきた。
 聞けばマリアの兄だと云うから合点がいった。マリアと云うのはあの女奴隷の名で、どうやら妹が助けられた恩返しをしたいらしい。
 何をくれるのかと思えばなんと脱獄の斡旋をしてくれると云うから驚いた。
 妹を抜け出させるついでだと云うが、そのついでがどれほど困難かは推して知るべきである。
 何分難しいから少し時間を要すると云われたが、こちらはかれこれ十年も好機を待ち続けていたのだから今更十数日程度と笑ってやった。

 

8: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 15:13:53.52 ID:1dmR7XxL0
 せっかくだから何か暇つぶしになるものやると云われたので、私は白紙の本とペンを要求した。
 数日後、はたして注文した品物を持ってマリアの兄がやってきた。しかも脱出の目処が立ったというので尚更嬉しい。
 数日もせぬ内にまた来ると云って妹思いの勇敢な兵士は立ち去った。 
 それがついさっきのことだ。
 これから記すのは私が六つの頃の不思議な体験の話である。
 ここを抜け出したら間を置かずにこれを回収する所存だから、これを見つけたら我々は死んだものと見てよろしい。
 その後は華厳の滝に流すなり仲間内で回し読みするなりどうとでもするが良い。

 

9: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 15:14:22.30 ID:1dmR7XxL0
 父との旅は自分にとって大変楽なものだった。
 単に親の庇護があるという安心感だけでなく、父がそれ以上に人を守る気根のある実力者であったから、彼の隣にいれば百戦危うからずといった風の妙な無敵感を抱かせてくれたのだ。
 また父の唱える呪文も尋常ではなかった。本人はホイミと唱えるだけだったが、その回復呪文はホイミの効能を遙かに上回る威力を持っていたように思う。
 実の所そうではなく、ただのホイミであったのかもしれないが、幼少のか弱い自分に施される癒しの力はそういった幻影を見せてくれたのだ。

 

10: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 15:15:52.62 ID:1dmR7XxL0
 我々の旅はどうやら私が物心つく前から続いているようで、始まりと云えばとんと思い出せぬ。
 強いて思い出せる一番古い記憶と云えばどこぞの荘厳なお城で生まれたばかりの私を父が高く掲げて、それに驚いて私が泣き出したことである。
 皆も知っている通り私と父は旅をしていたというだけの何の変哲もない一般市民だから、これは何かの本にあった出来事と混ざってしまっているのだろう。
 父にそれを伝えた時も寝ぼけているなと笑われた。
 曖昧な記述をして間違いがあるといけないから、より鮮明に思い出せる場面から話すことにする。

 

11: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 15:16:55.57 ID:1dmR7XxL0
 私と父は船に乗っていた。船と云っても客船とも呼べぬ粗末な代物で、おそらく商船かなにかに乗せてもらっていたのだろう。
 暇な私が船中を捜索していると突然物陰から大男がとびかかってきた。
 見ると怖がらせるつもりなのだろう、珍妙に顔を歪めてこちらを威嚇している船員である。
 呆れた私が黙っているとお、泣かなかったな、偉いぞと云って頭を撫でてくる。
 実はそれなりに驚いたのだが、大男の顔が恐いよりむしろおかしかったのでこみ上げる笑いとで相殺されたんである。
 それでも褒められるのはうれしいので黙って撫でられていた。

 

12: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 15:19:09.44 ID:1dmR7XxL0
 船底まで歩を進めると大変な数の宝箱がある。普段人のものは取らないがどうせこの船は父のものだから構わんだろうと一人合点して開けようと試みる。
 すると一向に蓋が動かない。調べてみると鍵が掛かっている。
 船長にあれは開きますかと聞けばあれはルドマン様のものだから勝手に開けてはいけないよと苦笑する。
 ルドマンとは誰ですと問えばこの船のオーナーだという。普段客は乗せないが、パパスさんのために特別にサービスとして乗せるんだと云っていた。
 子供の私はよく意味を分かっていなかったから特別で乗せてもらえる父はそのルドマンとかいうのより偉いものだとばかり思っていた。

 

13: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 15:20:20.12 ID:1dmR7XxL0
 そのうち船が港につき、桟橋との間に歩み板が掛かった。
 娯楽のない船の中に飽き飽きしていた私は一刻も早く陸に上がりたかったが、父がそれを押し止めた。
 見れば歩み板を非常な速力で駆け上がるもの凄い奴がある。
 赤いドレスに身を包み、バラの簪をした黒髪のおかっぱ娘である。それも肌や髪の健康状態から察するにいい身分の令嬢と見た。
 おかっぱは船に乗り込むなり入口の前にいる我が父に向っておじさん、邪魔よと怒鳴りつけた。
 父が驚いて後ずさると足回りのよくないドレスでありながらやはりすばらしい駆け足で奥の部屋へと消えた。

 

14: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 15:21:16.19 ID:1dmR7XxL0
 呆気にとられた私たちが固まっていると、ゆったりとした足取りで我々とは比べ物にならぬほど綺麗な身なりをした富豪が船に乗り込んでくる。
 富豪がいや、娘が失礼しましたとおかっぱの非礼を詫びると、船長がお帰りなさいませ、ルドマン様と慇懃に頭を下げる。
 この富豪が先の話に出ていたルドマンとかいうオーナーらしい。船長との会話からすると旅行の帰りのようだが、彼の晴れやかな顔を見るとそれもうまくいったようだ。
 ルドマンが省みてフローラや。と呼びつけると何か小さい者が船の縁に必死に手をかけて奮闘している。
 おや、少し入口が高すぎましたなと船長が呟くと、父がどれ、私が手を貸しましょうと幼い手を取って丁寧にエスコートする。

 

15: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 15:22:12.23 ID:1dmR7XxL0
 父の手を借りて船上へ躍り出たのは、華やかなドレスに身を包み、透き通るように綺麗な青い髪を先のお転婆と同様におかっぱに切り揃えた美しい少女であった。
 私は生来口下手であるからあまり美人の形容はできないが、旅をして方々の人々を見てきた経験から云っても全くの美人に相違ない。これは将来が実に有望であると子供心に思った。
 船に上がった彼女は周りを取り囲む大人たちの注目を浴びていることを自覚したか、顔を赤くして俯向いてしまった。
 ルドマンがお礼をしなさいと促すと、気恥ずかしながらもしっかりと顔を上げて、ありがとうと太陽の如くまぶしい笑顔を見せた。
 遠くからぼけらと眺めてばかりいた私はその笑顔を見て自分に向けられたわけでもないのになぜか快くなった。
 その時の何だか水晶の珠を香水で暖あっためて、掌へ握ってみたようなくすぐったい心持ちは今でも覚えている。

 

16: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 15:23:23.36 ID:1dmR7XxL0
 ルドマンが長旅で疲れたろう、奥の部屋で休みなさいと船員を呼んでフローラを奥へ案内させた。
 すると不意に彼女が振り返り、こちらの方を見た。
 一瞬、私と目があったかと思うと、彼女の目が細くなった。
 そしてすたすたと黒いおかっぱと同じ部屋へと向かう。
 私にはこの数刻のやり取りが夢だったかのように思われた。
 嵐と凪の如く対称な姉妹が過ぎ去ると、ルドマンが父の手を取ってお騒がせしました、どうぞ港へと丁寧に応対する。
 非礼を詫びるのみならず埋め合わせまで隙がないとはこのルドマンという男は礼儀がわかっている。

 

17: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 15:24:11.59 ID:1dmR7XxL0
 父が忘れ物はないなと聞くのではいと答えたが、やはり先ほどの女子等が少々気にかかる。
 そんな私の気配を察したのか、目聡い父は私にもし忘れ物があるといけないから少しだけ見てきなさいと命じた。
 目を上げるとそこには訳知り顔で頷く父の顔があった。
 私は元の部屋に戻る振りをしながら、素早くおかっぱ姉妹の消えた部屋へ駆けていった。

 

18: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 15:25:28.65 ID:1dmR7XxL0
 部屋の前には警護の者がついていたのでこれはと思ったが、駆け寄る私を見て引き止めるどころか走ると危ないから気をつけなさい、と優しく忠告してくる始末である。
 寛容なことは結構だがもし私が雇い主なら首にしているところだ。
 女子の部屋になぞついぞ入ったことがないから勝手が分からなかったが、とりあえず形だけでもノックをして扉を開けると、いきなり無遠慮な怒号が飛んできた。
 声の調子からすると黒いおかっぱのものである。一瞬ひるんだが、ここまで来て引き返すのも癪だから一思いに戸を開け放った。

 

19: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 15:27:08.78 ID:1dmR7XxL0
 中にはやはりさっきのおかっぱ姉妹が礼儀正しく椅子にちょこんと座り込んでいる。
 もっとも両人が揃ってそうしているのは一瞬で、片方の激しい方がすぐさま立ち上がってまなじりを釣り上げた。
 ちょっと、ここは私の部屋なんだから勝手に入らないでよねとあえて所有権を自分一人で背負い込んでいるところがおかしい。
 甲高い怒声にすっかり辟易した私はその場で立ち竦んでしまったが、優しい方がいいのよ、私が呼んだんだからと機転を利かすのには驚いた。
 やはりさっきの目配せは、と思うや激しいおかっぱが何考えてんのとむくれてバルコニーへ向かう。

 

20: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 15:27:56.19 ID:1dmR7XxL0
 優しい方がこちらへ向き直って手招きをする。
 その仕草が子供のくせに妙に妖艶で、頭に靄の掛かったような心持ちになった私はふらふらと導かれるままに彼女の前に立った。
 あなたはだあれ、と今までとこれからの人生でも聞いたことのないような清廉な声色で尋ねられたのでしどろもどろになりながらも名を名乗った。
 ついでに勢い余って父と旅をしていることまで付け加えてしまうと相手の方もあら、奇遇ね。私もお父様と旅をしているのとあっけらかんと笑う。

 

21: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 15:29:01.88 ID:1dmR7XxL0
 高嶺の花でも、無邪気に笑うところを見ると手が届きそうに錯覚するもので、私もその前例に倣ってつい旅は辛くないかなどと質問してしまった。
 ええ、けれど、やっぱり楽しいわと底抜けに明るい笑顔で答える。
 ここまで垢抜けた笑顔を見ず知らずの他人に見せられるのは相当人懐こいか器量の大きな人間である。
 私はこの令嬢を一気に好きになった。
 するとフローラが少し昏い顔をして、でも海って広くって恐いわと云うのでなに、海なんか恐くあるもんか、この世にはよっぽど恐いものがたくさんあると返したらそれはなにと真面目に聞き返してくる。
 私は深く考えずに答えたので少し困ったが、それを云うと君がもっと恐がるから云わないよと返答しておいた。
 すると彼女は目を細めて優しいのね、ありがとうとお礼を云う。
 私は真っ赤になって何も云えなくなってしまった。

 

22: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 15:30:10.12 ID:1dmR7XxL0
 あんまり居辛いのでそれじゃあと挨拶をして部屋を出て行こうとすると部屋の出入り口に黒いおかっぱが仁王立ちしている。
 邪魔だ、どけと云うとおかっぱは部屋に勝手に入った罰金として何かを寄越せと云って手を広げてみせる。
 旅の身であるから不必要な物は何一つ持っていない。仕方がないから差し出された手を取って甲にキスをしてやった。
 すると向こうはエビルアップルの如く顔を真っ赤にして何すんのよと平手を繰り出してきた。
 ひ弱ではあるが私も戦闘の経験は豊富なのでひらりひらりと攻撃をかわし続けてやるとしまいにはおかっぱが泣き出してしまった。
 仕方がないから泣き止むまで頭を撫でてやった。
 するともういいから行きなさいよと枯れた声で云うからそうですか、さようならと挨拶をすれば向こうは少し不満そうである。なんだかよく分からない。

 

23: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 15:31:05.66 ID:1dmR7XxL0
 黒いお転婆のせいで少々時間を食ったが船長とルドマンは快く待ってくれていた。青い清楚はきっとルドマンに似たに違いない。
 父に大丈夫ですと告げるとうむ、と頷いて船長、世話になったなと挨拶をする。
 船長もなに、いつでもお構いなく、坊やも俺のことを覚えてくれよと朗らかに云うので素直にうなずいておいた。
 港に降り立つと、間もなく歩み板が下ろされ、船が港を出発する。
 退屈な船上の旅に飽き々々していた私だったが、何分一緒に旅をしたというだけでも情愛というのは湧くもので、水平の彼方へと過ぎ去る船を見ていると少しばかり惜しい気持ちになった。

 

24: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 15:33:19.45 ID:1dmR7XxL0
 しかし陸に上がった次の瞬間には船のことなど一切興味を失ってしまった。
 子供にとっては船も所詮水上を進む馬車と何ら変わりないのだ。
 父は港の番をしている男と話を始め、私にそこらで遊んでいなさいと命じた。
 することのない私はふらりと外へ出かけ、そこで三体の魔物と対面した。
 それが冒頭へと至る経緯である。

 

25: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 15:35:01.29 ID:1dmR7XxL0


少し休みます

察しのつく人は分かったかもしれませんが、ガルパンの人ではありません。しかしリスペクトはしています
少年期の終わりまで書き溜めがありますが、何分文量が多いので最後までお付き合いいただけるとありがたく思います

あ、ドラクエVです

 

29: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 16:55:56.17 ID:1dmR7XxL0
 例の港を出て北に上ると、サンタローズという田舎の村にたどり着いた。
 二年前に父が幼い子供を連れて旅に出たはじまりの地らしいが、何分物心のつく頃には旅をしていたからこの村の記憶はほとんどない。
 故郷であるはずのサンタローズも凡百の町村の如く私の目に映えた。
 村の入り口に立つと槍を持った番兵が物々しい様子で我々を検問してきた。当初は番兵らしく横柄な態度で我々を睨めつけていたが、父の正体を見破るとさっと顔色を変えてパパスさんじゃないですか、帰ってきてらしたんですかとやに下に出る。
 父はそんな態度の変わりようには毫も気にかけていないらしく、村の者に知らせよとただ豪胆である。

 

30: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 16:56:45.17 ID:1dmR7XxL0
 父に連れられて村の中を巡ると住人の皆が皆パパスさん、おかえりなさい、パパスさん、おかえりなさいと英雄の凱旋の如く騒いでいる。
 殊に教会のシスターの至っては当初は聖職者らしく荘厳な挨拶を述べていたが、最後にわーいわーいと子供みたようなはしゃぎ方をするには驚いた。
 知らない人間に歓迎されるのは少々薄気味悪かったが、普段尊敬している父の待遇が良いのは非常にいい心持ちがした。
 やがて村の中で一番大きな屋敷に着くと玄関口でやたらと恰幅の良い男が立っている。
 男は周りの者と違い父を旦那様と呼んでいたのでどうやら召使の類らしい。
 このサンチョ、旦那様の帰りをどれほど待ちわびたことかと碌に話もしない内に声が水気を帯びている。
 そこまで主人を気に掛けるくらいならなぜ二年前の旅立ちに同行しなかったのかと聞きたかったが、泣いたり喜んだりと忙しそうなので抛っておいた。

 

31: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 16:57:39.90 ID:1dmR7XxL0
 屋敷に入ればやはり恰幅の良い細君らしき女が待ち受けていた。
 似たもの夫婦だと思えば父がやあ、隣町のダンカンのおかみさんじゃないかと懐かしむ。
 どうも別の男の妻らしい。勘違いも甚だしいが似ているのだから仕方がない。
 父は父でそのおかみとサンチョとで大人の話をし始めた。この国の大人は子供を置いて話をしなければならないと言う法にでも従っているのだろうか。
 必定暇になった私が玄関口で仏頂面を浮かべているとダンカンの細君が上に娘がいるから、上がって子供同士で遊んでおいでと云った。
 私は微妙な顔をして頷いておいた。
 実を言えば物心着いた頃から父と二人旅を続けている私は同年代の子供と遊ぶ機会がついぞなかったら、うまく行くか不安だったのだ。
 それでも大人の話に父が巻き込まれた以上することもないので暇をつぶせるかと思うと少しばかり嬉しかった。

 

32: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 16:58:07.28 ID:1dmR7XxL0
 はたして階上に上がってみれば、金髪を左右のテエルで分けた気の強そうな女子が待ち受けていた。
 顔を見合わすなり相変わらずお父さんに似ずひ弱そうだわねとご挨拶である。
 ビアンカと名乗った少女が私のことを覚えてるかしらと尋ねるので首を横に振ればそうよね、あなたは小さかったものねと久しぶりに会う親族みたようなことを云いだす。
 その上私の方が二歳年上なのよと前後の繋がらない自慢をしてきた。
 年上なことがそんなに偉いかと反駁したら年下のくせに生意気よとやはり話が通じぬ。

 

33: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 16:58:34.75 ID:1dmR7XxL0
 仕方がないから絵本でも読んで過ごすかと本棚に向かえばお姉さんが読んであげると先回りをされた。
 どうしても自分がお姉さんであることを示したいと見える。
 父の他に頼りになる人物が増えるかと期待していたが、自分で読んであげるなどと息巻いていた本を禄に解読できずに難しいわねと云って抛り投げるのには閉口した。
 本に興味をなくした彼女はやっぱりお話ししましょうよと大人のようなことを云う。
 口下手な自分はうん。とまあ。の二つで会話を形成していたがむしろ喋りすぎなくらいの彼女の語り口にはそれが適当だったと見え、しばらくする頃には我々は意気投合していた。

 

34: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 16:59:22.39 ID:1dmR7XxL0
 聞けば彼女らは主人の風邪を治す薬を取りにこの村に来たらしい。
 それもさっさと買って帰るはずだったのが、それを売る商人がしばらく見えないので足止めを食っているという。すこぶる暇そうで気の毒だ。
 可哀想なので相手をしようかと思っていると、階下で私を呼ぶ声がする。
 父に呼ばれてみれば私は少し出かけるから家でおとなしくしていなさいとの事だった。
 いってらっしゃいと見送って階段に足をかけると、挙動不審にあたりを見渡す父の姿が窓から窺えた。
 人に知られたくない事情でもあるのだろうか、いやいや父に限ってそんなことは、とは思いつつ、足は勝手に玄関の敷居を跨いでいた。

 

35: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:00:20.76 ID:1dmR7XxL0
 外に出て父の行方を窺ってみると非常な速力で歩いていくから魂消た。
 普段彼と歩いている身からしてみればいつも自分に歩調を合わせてくれていたのかと改めて彼の思いやりに胸を暖かくせざるを得ない。
 動向を見守っていると彼は村を流れる川の上流にある洞窟へと姿を消した。
 どんな用事でそこに入っていったのか知れぬが、人目を憚るようなことはして欲しくないものだ。
 ともあれここまで来たからには最後まで尾けなければ示しがつかない。勇気を振り絞って洞窟へ向かうことにした。

 

36: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:01:08.21 ID:1dmR7XxL0
 中には案の定魔物がいて、戦闘を強要された。
 もっとも蝉や土竜や兎といった野生動物の変化したものの類で恐るるに足りない。
 奥へと進むと洞窟ではついぞ現れなかった弱小の代名詞であるスライムが出てきた。
 これまでの戦闘で場慣れした私は今が雪辱を晴らす好機と武器を振りかぶると突然スライムが人の言葉で助けを乞うた。
 それもぼくわるいスライムじゃないよ。だからやめてと云いながら必死にぷるぷるしている。

 

37: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:02:06.48 ID:1dmR7XxL0
 私は馬鹿め、スライムに善いも悪いもあるものか、スライムは人間の敵だと云えばちがうよ、ぼくわるくないよの一点張りである。
 どうしても殺されたくないらしいが、敵をみすみす逃して後ろからばっさりとやられる将を幾らでも知っている。
 そうしている間にもスライムはたすけてと相変わらずぷるぷるしているので仕方がないからひのきの棒で殴って気絶させておいた。運が良ければ息を吹き返すだろう。
 もっとも人間の肩を持つような個体が他のスライムらと相容れられるかなぞは知ったことではない。

 

38: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:03:12.44 ID:1dmR7XxL0
 文字通りぐんにゃりと延びたスライムを後にしてさらに奥へと進めば、妙に広い穴の一角がある。
 見れば石を布団にして寝ている人間がある。
 ぐうぐうと間抜けな鼾が聞こえるので思い切り頭を蹴っ飛ばしてやった。
 すると石に敷かれた男がむにゃむにゃと訳の分からない寝言を言っているのでもう一度蹴り飛ばすかと身構えると急に意識を取り戻しておお、すまないが石をどけてくれないかと懇願する。
 石は重かったが規模はそれほどでもないので容易にどかせた。
 下敷きの男はありがとう、これでダンカンのおかみさん達に薬を渡せると云って今まで石に潰されていたとは思えぬ健脚で走り去っていった。
 わざわざ名前でなくダンカンのおかみと肩書きで呼ぶので彼女は名前の無い人物なのだろうか。

 

39: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:03:39.72 ID:1dmR7XxL0
 洞窟はそこで行き止まりだったので父の行く先はついぞ知り得なかった。
 私は少し肩を透かされた気分で帰った。帰りに先のわるくないスライムの元を訪れると彼の姿は形もなく、代わりにわずかなゴールドが落ちていた。
 大方軽い謝礼なのだろう、ありがたく受け取っておいた。

 

40: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:04:35.23 ID:1dmR7XxL0
 屋敷に帰ればサンチョがおかえりなさいませ、坊っちゃんと召使らしく丁寧に対応をするから気分が良かった。
 少し休むと云うとどうぞ、おやすみなさいませと云って毛布を掛けてくれた。
 その後は冒険の疲れからか眠気がどっと押し寄せてきてそのまま翌朝まで起きなかった。

 

41: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:05:41.00 ID:1dmR7XxL0
 起きてみれば外が明るい。
 おや、存外眠っていないなと思うとサンチョがおはようございますと挨拶をするのでどうやら次の日の朝まで眠りこけていたらしいと悟った。
 階下まで降りると父とダンカンの名無しのおかみとビアンカとが待ち受けていた。
 こんな朝早くから何の用かと思えば薬を売る某が戻ってきたので主人の待つ隣町に帰るのだという。
 その道具屋におかしな点はなかったかと尋ねると別段普通でしたよと云うので別状はなかったようだが、石に潰されてなお意気軒昂というのもそれはそれで不気味である。
 父が隣町まで距離はないとはいえ女だけの旅路は危ない。我々が護衛するのだと云うがここまで来た往路はその女達だけで何事もなく来れたのだからただの社交辞令なのだろう。

 

42: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:06:36.16 ID:1dmR7XxL0
 早速出立すると召使のサンチョがいってらっしゃいませと見送る。
 終始主人の旅に付き従わない所を見ると存外不忠である。
 ぞろぞろと四人連れで村を出ると旅慣れている我々親子の足に母娘二人が中々ついていけない。
 さすがに護衛であるから置いてけぼりにはしないがやりにくくって仕様がない。荷を背負った驢馬を連れ歩いているようだ。
 やがてすぐに隣町が見えた。村にいたのと似たような門番が我々を一瞥したが、父と名無しのおかみを見ればすぐに脇へ退いた。

 

43: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:07:09.19 ID:1dmR7XxL0
 そのまま道なりに真っ直ぐ行けばビアンカらの経営する宿屋である。
 それもそこいらの酒場や民家や教会が小さく見えるほど立派なものだから仰天した。
 こんなに広いものを夫婦と娘で切り盛りしているのだから人並みの苦労ではない。
 中に入って案内されるままに進むと、サンチョほどではないがこれまた恰幅の良い男がベッドに横たわっている。おそらくこれがダンカンという宿屋の主人なのだろう。
 顔が青ざめていて具合が悪そうだ。咳も色々と混じっている音がする。
 おかみが薬を茶碗に入れて水に溶き、ゆっくりとダンカンに飲ませると咳が少し落ち着いた。

 

44: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:08:12.49 ID:1dmR7XxL0
 父が私は彼を見舞っているから退屈ならそこらで遊んでおいでと云うのでありがたく退散した。
 知り合いでもない病人に掛けてやる言葉など持ち合わせてはいないのだ。
 するとなぜか実の娘であるはずのビアンカもついてきた。
 父の元にいなくていいのかと聞くとどうせ明日には治ってるからいいわよと豪胆に答える。
 それにあそこにいると風邪が移りそうだし、と付け加えられればこちらはもう云うことなどない。ビアンカを連れて町を巡ることにした。

 

45: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:08:42.82 ID:1dmR7XxL0
 ぐるりと辺りを見回すと何のことはない、ここもサンタローズとほとんど変わらぬ田舎である。
 しかしビアンカサンタローズよりずっと賑やかでしょうと得意げなので曖昧に頷いておいた。
 彼女はここと田舎のサンタローズしか訪れたことがないので本当の盛況というのを知らぬのだろう。少し可哀想である。

 

46: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:09:48.45 ID:1dmR7XxL0
 町で一番大きな建物は先に云った通り宿屋だが、その次と云うと民家だから驚いた。しかも池に囲まれた庭付きだから余程金持ちが住んでいるに相違ない。
 その民家の庭を覗くと子供が二人ほどきゃっきゃとはしゃいでいる。
 自分と同じくらいの連中だが、なんだか様子がおかしい。
 庭の一角になにかあって、それに石を投げたり枝で刺したり蹴飛ばしたりと物騒な遊びをしている。
 近づいてみるとはたして虐められているのは黄色い派手な柄をした猫であった。
 猫と云ってもかなり大型で、しかも鳴き声も尋常ではない。がるると獣のような音を喉から鳴らしている。
 敵に囲まれて怯えているのか目つきは狂暴に光り、剥き出した牙は今にも子供らの喉笛を引き裂きさかんと彷徨っている。

 

47: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:10:19.47 ID:1dmR7XxL0
 これはいかん、と私は庭に飛び入り、子供達をその猫から離した。
 すると私に掴まれた兄弟の片割れがなにすんだよう、今猫を虐めてんだから邪魔すんなようと生意気なので出立の際に買ってもらったかしのつえで頭をえいや、と叩いた。
 殴られた片割れはもんどりうってひっくり返ったがもう片方は逃してしまったので追いかけようとするとビアンカが止めに入る。
 離せと云うと喧嘩はだめよと仲裁のつもりなんだろうが、これは喧嘩でなくて教育である。
 豹と猫の違いが分からん餓鬼共を危険から遠ざけてやったのだからむしろ感謝されて然るべきであるのに、次は私がビアンカに殴られた。
 くだものナイフの柄でがつんとやられたので目の前に火花が散って、やがて闇に覆われてしまった。

 

48: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:11:32.98 ID:1dmR7XxL0
 意識を取り戻すと目の前に先の兄弟が揃って似たようなたんこぶを拵えて神妙に座っている。
 おや、私が殴ったのは片方だけだったがと思うと隣には納刀したくだものナイフを握りしめたビアンカがいるのでどうやら無事だった片割れも喧嘩両成敗の憂き目にあったようである。
 辺りにあの豹がいないので逃がしたらしいが、目の前の兄弟等の眼を見る限り諦めていない様子だから嘆けばいいやら苦笑すればいいやら分からなかった。
 ビアンカがもうあの猫を虐めちゃだめよと警告すると兄弟は仏頂面で斜に構えて相手にしない。
 云って聞かぬのなら直接体に訴える他あるまいと思っていると、私が目覚めたのに気がついた片割れが慌ててレヌール城のお化けを退治したら猫は譲ると条件を寄越す。

 

49: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:12:23.87 ID:1dmR7XxL0
 私がやい巫山戯るな。なぜ正しいことをした我々が面倒を背負わねばならんのだと怒鳴ると兄弟が揃って身をすくめる。
 貴様らがその城へ出向いて、お化けなり妖怪なり退治してそれで猫を要求するなら道理は通る。
 しかし正義を敢行した我々が苦労をして、一方で野生の生き物をさらって虐めている貴様らが安穏と待ち受けるなど全体どういう了見だとまくし立てるとビアンカがまあまあとやんわり窘める。ナイフを手にしてまあまあもないもんだ。

 

50: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:13:23.77 ID:1dmR7XxL0
 兄弟はすっかり私の剣幕に圧されて萎縮しているが、ビアンカは思案顔で俯向いている。
 すると何を思ったかそれじゃあ私たちがそれを退治すればいいのねと兄弟の提案を呑む様子だから驚いた。
 兄弟らはうんうんと二つ返事で了承する。私は納得しかねたが、年長者が極めたことなので文句の云いようがない。
 ビアンカの方もお化け退治ねと興奮気味で話が通じそうにないから私はやれやれと首を振るばかりであった。

 

51: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:14:15.82 ID:1dmR7XxL0
 そうと決まれば行動は早い。早速出立だと町を出ようとすると例の門番が機敏に邪魔をする。
 しかも帯刀しているから物騒で近寄り難い。どうしたものかとあぐねているとビアンカが耳打ちをしてきた。
 曰く夜にはこの門番は鼾を立てて居眠りをしてしまうのだという。
 私が驚いて夜の当番の者は居ないのかと云うときょとんとしているから呆れた。
 ここの住人は町の警備をすっかりこの男一人に委任しているようだ。
 いくら気炎万丈としても四六時中寝ないでいられるわけがない。
 田舎だから杜撰な警備でも十分勤まるんだろうが、しかしよくよく考えてみれば人々が寝静まり、その上魔物の活発な夜こそ見張るべきだろう。
 やはり田舎者の考えはよく分からない。

 

52: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:16:01.33 ID:1dmR7XxL0
 夜になるまで待つとなれば昼に行動していては差し支えるから早めに寝ることにする。
 宿に戻ると名無しのおかみが必死に父を引き留めている。
 様子から察するに日の上がらない内に出立したい父をどうにかして宿に泊まらせたいようだ。
 父が迷っているのでこれ幸いとせっかくだから泊まりましょうと云うとお前がそう云うのなら、と渋々承諾してくれた。
 ダンカンのおかみはそれを聞いて飛び上がるように喜んですぐに部屋を手配してくれた。

 

53: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:16:32.53 ID:1dmR7XxL0
 案内されてみればなんと最上階のスイートである。
 調度品の質はそれほどでもないが手入れが丁寧ですこぶる過ごしやすい。
 私はちょっと寝ますと云ってベッドに潜り込んだ。
 父もそうか、それじゃあ私も休もうと云って随分と間を空けて並べられたベッドに臥せる。
 大して体を動かしたわけでもないのにすうっと意識が遠ざかるので余程ベッドの寝心地が良かったんだろう。
 しばらく意識を失って寝ているとどこかで私を呼ぶ声がする。ビアンカが私を起こしに来たようだ。
 目を開けようと思ったが今朝のくだものナイフの一撃を思い出して腹が立ったので少し意地悪をすることにした。

 

54: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:17:42.96 ID:1dmR7XxL0
 ビアンカの呼びかけを無視して狸寝入りを続ける。
 すると突然口と鼻をつままれた。必定息が出来なくなるので苦しくなる。
 ベッドから飛び跳ねて目を白黒させるとビアンカの方は起きたわね、と一口で済ませる。
 危うくずっと起きたわねができなくなりそうだったので冗談ではない。
 さあ、レヌール城へ行くわよと溌剌に云うので随分元気な奴である。
 大方宿の経営を手伝うから昼夜の逆転には慣れているのだろう。
 朝に起きて夜に寝る動物然とした生活をしているこちらは体が不調で仕方がない。

 

55: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:18:32.17 ID:1dmR7XxL0
 外に出てみれば町はしいんと静まり返っている。
 酒場があるのにこの様子だからやっぱり田舎だ。ただ夜中に酔っぱらいが大騒ぎをしてうるさくなったりしないのは健全でよろしい。
 町の入り口に向かうと例の門番が横たわっている。
 しかも寝具も何もない地べたにごろんと雑魚寝をしているから傑物である。

 

56: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:19:23.34 ID:1dmR7XxL0
 町を出て野を越え山を越えるとやがてうらぶれた古城が見えてくる。
 城下に町の痕跡がないところを見ると遙か昔に滅びたもののようだ。
 それに劣化の仕方が悲惨でおどろおどろしい。それこそお化けや魑魅魍魎が住み着いていてもおかしくない。
 正門は堅く閉ざされているので裏に回れば壁が崩れていて容易に侵入できる。
 螺旋階段でなく梯子なのが気に掛かるが、昇って中に入ると棺桶が整然と並べられている。
 気味が悪いなと思っていると入り口が突然封鎖されてしまった。
 人の気配はしないが何かに見られているようで胸○ソが悪い。
 怯えからか握っているビアンカの手が小刻みに震えている。多分私も震えていたと思う。

 

57: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:20:52.08 ID:1dmR7XxL0
 退路は塞がれてしまったので進むしかないが、部屋の奥にある階段に足を掛けた途端に握っていた感触がふわりと消えた。
 振り向くとビアンカがいない。いたずらかと思えば彼女の悲鳴が聞こえるからこれはまずいと焦りが生じる。
 慌てて辺りを見渡すがあるのは棺桶ばかりで、念のため蓋に手を掛けるがうんともすんとも云わない。
 仕方がないから先へ進むと次は棺桶の代わりに騎士の鎧が置かれた部屋に着く。
 先ほどよりはましだと思って進むと目の端で動くものがある。
 慌てて振り返るが誰もいない。怯えて神経が衰弱しているのだろうか。
 ビアンカが居る時はこんな事はなかったのであれでも意外と頼りになっていたんだろう。

 

58: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:21:54.16 ID:1dmR7XxL0
 奥のドアをくぐると屋上庭園のような所に出る。もっとも真ん中に大きい墓が二つも据えられていておよそ風流とは無縁であった。
 立派な墓だと思って眺めていると片方の墓碑銘に私の名前が刻まれているのを見て仰天した。縁起が悪いどころの騒ぎではない。
 もう片方には「ビアンカ」とある。これはと思い中を改めれば血色の良い女子が中で横たわっている。
 名を呼んで揺り起こすとビアンカはうめき声を上げて体を起こした。
 聞けば階段の上で突然意識を失って、そして目覚めてみれば暗闇でしかも固い石に八方を囲まれていて本当に恐ろしかったからそれでまた気絶したとのことだ。
 物の怪の類に化かされたんであろうが、それにしても生きたまま墓に閉じこめるとは物騒極まりない。
 もし私が開けなければ本物の墓になってしまうところだった。

 

59: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:23:17.30 ID:1dmR7XxL0
 庭園には私が入ってきたのとは別にもう一つ入り口がある。戻っても仕様がないので先へ進む。
 するとまたさっきみたような目にあってはごめんだと云わんばかりにビアンカが体をひっつけてくるから別の意味で緊張した。
 本棚が点々と置かれた部屋に着くと窓際におかしなものが見える。
 薄らぼんやりと青く光る靄のようで、しかも人の形をしている。
 少し警戒したがその靄はこちらを一瞥するとすうっとかき消えた。
 気味の悪いものには消えてもらうのが一番だが、本棚が突然動き出してビアンカが甲高い悲鳴をあげるのには閉口した。
 城に来るまではお姉さん然とした態度で頼りになりそうだったのだが、墓に閉じこめられて以来臆病になっている。
 なんだか無性に船で出会ったあの黒いおかっぱのように頭を撫でてやりたくなったが不満そうな顔をされるのも嫌なのでやめた。

 

60: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:25:25.76 ID:1dmR7XxL0
 本棚が動いた元の場所には階段がある。本棚の下敷きになって隠れていたらしい。
 降りた先の部屋に入ると先の人型の靄が豪奢なソファでお茶をしている。
 悪霊の類であればとっくに危害を加えてくるのでこれは安全と判断して近づくと、突然独白を始めた。
 曰くこの靄は城の王妃の御霊で、十数年前に魔物に滅ぼされて以来成仏できずにいると云う。
 どうも高貴な身分の子供を攫うのが魔物らの目的だったらしいが、この王妃には子供がいなかったので腹いせで殺されたと云うから甚だ不憫である。
 しかも幽霊の魔物がここに住み着いて城の者達の魂を弄んでいるという。
 どうか城に住み着いた幽霊らを退治してくれ、そうしなければ永遠に苦しみ続けるだけだと懇願する。

 

61: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:26:11.19 ID:1dmR7XxL0
 繰り返すが私は弱い者虐めが大嫌いだ。
 ここに来る羽目になった発端の兄弟らにしても、何も豹から離すだけなら殴る必要はなかった。
 何より弱い者を虐めて楽しんでいる連中に腹が立ったから殴りつけたんである。
 ここの幽霊も人を見えない所から驚かしたり力のない女子供を閉じ込めたりするような卑怯な俗物の一部と見る。
 そうとなればお化け退治どころではない。生きていようといまいと必ず根絶やしにしてやるとこの時心に誓った。
 隣のビアンカも似た様子だ。
 さっきまでの震えも幾分治まり、顔には決然とした表情が浮かんでいる。
 行こうかと呼びかけるとうん、と力強い応えが返ってきた。

 

62: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:27:19.68 ID:1dmR7XxL0
先の廊下に戻って別の部屋へ入るとまた階段がある。
 どうもこの城は階段ばかりで気が滅入る。もっとも他の城の構造も禄に知らないからみんな似たようなものなのかも知れぬ。
 階段を降りるとその階だけ光が一切なく、全く闇に閉ざされていたので驚いた。
 窓があって蝋燭もかかっているのに闇とは実に不思議だったが、夜に建物の中――殊に人の住まない廃墟であれば猶更――へ赴けば目盲になるのは当然である。
 松明を用意しなかった迂闊を後悔したがもう遅い。先ほど奮い立たせたばかりの勇気が縮こまってしまいそうになる。
 ビアンカは早くも萎えた様子で顔を緊張させているから手を握ってやった。
 手探りで進む内に階段を見つけたので急いで下へ降りた。

 

63: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:28:33.33 ID:1dmR7XxL0
 階下は月明かりが漏れていたので闇ではないが、上と下が明るくってそこだけ暗いのはいよいよ不思議である。
 すると突然目の前を王妃のものとは違う靄が部屋を駆け抜けた。
 これも悪霊ではなさそうだから追いかけると、はたして王冠を乗せた立派な威厳の王様であった。
 やはり先の王妃と似たようなことを頼むので二つ返事で了承しておいた。
 しかも先ほど暗い階があったろう、あそこが親玉の巣くう本拠地で、そいつをこらしめればここの悪霊も消え去るだろうと何の根拠もない情報を寄越してきた。
 しかし我々は情報に全く困窮していたからありがたく参考にさせて貰うことにした。

 

64: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:29:07.12 ID:1dmR7XxL0
 来た道を引き返そうとすれば王様が我々に立ちはだかってこらこら、若い者はせっかちでいかんと説教をする。六歳児に向かって若者た余計なお世話だ。
 しかし今親玉に立ち向かっても辺りが暗くては何もできまいと云われるとこちらは何も云えない。
 黙した我々を見ると王は地下の厨房の壺に松明があるから取って来いと云う。
 そこらの松明で好かろうと云うとあれは聖なる加護を受けた特別なものだからそれに越したことはないと云われる。
 なぜそんな霊験あらかたな品物が厨房の壺なんぞに納められているか甚だ疑問だが、それで闇を払えるのなら取りに行く他ない。

 

65: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:30:16.01 ID:1dmR7XxL0
 先へ進むと王や王妃みたような人魂がふわふわと浮かんでいて、しかも怨嗟の声を上げるので一層不気味だ。
 階段をいくつか降りていると厨房らしき所に着く。壁には明かりが灯っているので暗くはなかったが鼻をつく異様な臭いには閉口した。
 中央のテーブルに料理があるのでそこから漂っているのだろうが、全体どんな味付けをしているのか気になる。
 料理人と思しき幽霊と骸骨の魔物がテーブルを囲っていたが作業に夢中でこちらに気づいていない様子だからこっそり後ろを通った。

 

66: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:31:17.64 ID:1dmR7XxL0
 厨房の奥にははたしてみすぼらしい壺があった。
 手を突っ込んでみれば手に当たるものがある。
 引っ張れば何の変哲もない松明だから感動は薄れたものの必要な品は手に入れたので来た道を戻った。
 王の所まで戻ればそなたらの勇気に期待している、頑張り給えと偉そうな激励をもらったので精々頑張りますと返した。

 

67: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:34:13.31 ID:1dmR7XxL0
 落とし穴の底は白い陶器の皿で、野菜や焼き鳥などが盛られている。落下の衝撃で目を回していたらひい、私にはできないと怯えた声が聞こえた。
 見るとさっきの厨房で調理をしていた骸骨と幽霊である。意地悪な顔をした骸骨が躊躇う幽霊を脅してきりきり味付けしろと命じている。
 どうも地下の厨房まで真っ逆さまに落とされたようだ。それで無事なのは幸いだが、もう間もなくおいしく調理されてしまう。
 早く逃げねばと奮い立たせるが足が痛んで動けない。そうこうするうちに我々が乗っている台が皿や料理ごと上へがたんがたんと音を立てて登っていく。

 

68: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:35:34.38 ID:1dmR7XxL0
 台が上がりきると城の中でも一際広い部屋に着く。その時は呑気にもこの城にも広間があるのだななどと思ってしまった。
 食膳台の周りにはさっきのと似たような骸骨が涎を垂らしてこちらを見つめている。 こりゃうまそうだなどと云って襲い掛かってくるからビアンカと一緒に全て叩きのめしてやった。
 さっきまで骸骨だったのに戦う場面では蝋燭の形に見えたからあの料理人が掛けた調味料に幻覚剤でも入っていたんだろう。
 広間を見渡せばなんと人間の霊がワルツなぞ踊っている。
 こんな時に不謹慎だと思ったがそうではなく、例の悪霊共に操られて無理矢理踊らされているのだと云う。
 しかも昼も夜もなくひたすら強制されているらしいから可哀想だ。
 俄然親玉に対する憎悪で体に力が漲る。
 それまで全身に振りかけられた悪臭ですこぶる気が滅入っていたが、それも忘れて急いで玉座の間へ向かう。

 

69: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:36:56.25 ID:1dmR7XxL0
 すると玉座に例の奴が居ない。隠れてないで出て来いと玉座を蹴っ飛ばすとバルコニーから物音がした。
 駆け付けると親玉が文字通り右往左往している。我々を落とし穴に嵌めたのは良かったが予想外に早く戻って来たので混乱しているのだろう。
 先手必勝と殴りつけるとうわあと間抜けな声で転がった。すぐに立ち上がって骸骨共は食べ損なったか、では私が食ってやろうと虚勢を張っている。
 親玉とはいえ所詮田舎町のはずれにあるうらぶれた廃墟に巣くう雑魚共の指導者程度ではたかが知れている。
 ビアンカルカナンで守備力を下げてたこ殴りに徹すれば勝敗はあっけなく決した。

 

70: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:37:33.00 ID:1dmR7XxL0
 止めを刺すために獲物を振りかぶると何と城からは出て行くから助けてくれなどと命乞いをする。
 呆れた奴だ。貴様もそうして命乞いをしてきた奴らを何人も屠ってきたのだろうと詰め寄れば親玉は目に涙を浮かべて違う、おれたちははみだし者で住む所がないからここに来たんだよ、人は殺していないと嘘を吐く。
 ではなぜここの住人は恨めしがっているのか、まさか勝手に死んだわけじゃあるまいと問い詰めるとおれたちよりずっと偉い奴がいて、そいつがここを滅ぼしたんだと云う。

 

71: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:38:39.68 ID:1dmR7XxL0
 聞いてみれば合点の行く話だ。この城には王位を継承する子供がいないから腹いせで襲ってきたのだと王妃は云ったが、気分で攻め滅ぼした場所に住まうほど最近の魔物も馬鹿ではない。
 何しろぼくはわるくないよなどと云って難を逃れようとする輩までいるくらいだ。
 少しでも賢ければ足がついて近くの国に討伐されてしまうことくらい分かる。
 それにここの魔物は些か弱すぎる。戦闘に慣れているとはいえ子供二人に壊滅させられるような弱小な軍団では城を持つ大国など歯が立たぬだろう。
 急にこの悪霊の親玉が可哀そうになった。何も望んでここまで足を運んだわけではあるまい。きっと迫害された末に辿り着いた安息の地だったのだろう。

 先も云ったように、私は弱い者虐めが蛇蝎より嫌いなのだ。

 

72: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:39:53.88 ID:1dmR7XxL0
 私が得物を納めるとそれを見たビアンカがほっとした表情をしているから彼女も同様のことを考えていたと見える。
 見逃してやると云うと悲哀に暮れた表情が一変しておお、ありがとう。この恩は忘れねえと小躍りしている。
 調子の良い態度に腹が立ったのでしかしここの住人の魂を虐げていたのは事実だ、それはそれで落とし前はきっちりつけて貰うと迫るとまた涙目になるから面白い。
 脇に王と王妃の靄が居たので、貴様の都合で罪のない魂が随分苦しんだが何か云うことはないかと問うと申し訳ありませんでしたと私に向かって謝るから、何処を向いて頭を下げているともう一度殴ってやった。

 

73: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:41:01.83 ID:1dmR7XxL0
 王夫妻と配下に謝罪させた後は再発防止のためにもう二度とこんな事をやってみろ、その時は本当に容赦はしないと耳元で呟くと真っ青な顔になってうんうんと頷いている。
 おれはまた魔界のどこかでひっそり暮らすぜと足早に去るので追いかけて堂々と見送ってやった。
 去り際にひきつった顔であんた、いい大人になるぜと云ってくれたから、当然であろうと返すと苦笑いで去っていった。

 

74: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:42:00.04 ID:1dmR7XxL0
 親玉の姿が見えなくなると王と王妃がお礼を云ってくれた。礼をする言葉遣いもさっきの悪漢と違って品がある。
 貴方たちのことは忘れませんと云って二人揃って成仏した。後から城の広間で踊らされていた人々もそれに付いて行くように天へ召された。
 気が付けば玉座のバルコニーから屋上の庭園にいるから王夫妻が不思議な力で連れてきてくれたようだが、また降りるのが面倒だなどと思ってしまった。
 ビアンカと縁のある墓も墓碑銘は「ソフィア王妃」となっていたので安心した。
 さて帰るかと息をつくともう片方の墓の上にきらりと光るものがある。「エリック王」と刻まれているその墓の上には大変美しい、全く傷や加工の跡のない天衣無縫の宝玉が置かれていた。
 さっきまではなかったのできっと彼らの贈り物なのだろう。廃墟で野晒しにするのももったいないのでありがたく受け取っておくことにした。

 

75: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:43:17.01 ID:1dmR7XxL0
 ビアンカを連れて外へ出ると城にはもうさっきまでのおどろおどろしさがない。
 ぼろい廃墟であることは変わりないが、少なくとも人々の御霊が嘆き苦しむことはないだろう。
 町へ帰れば空はもう白み始めていた。ビアンカが寝る暇がないわねと肩を落とすから今日くらいは寝坊しても好かろうと云うと、それもそうねと笑顔で答える。
 一緒に一事を成し遂げた達成感からか、朝日に照らされたその顔は大変美しく思えた。
 普段あまりしない夜更かしのせいでベッドに潜ると間もなく眠った。

 

76: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:44:09.43 ID:1dmR7XxL0
 昼までぐっすり眠って体調は整えたが一方で父がダンカンの風邪をもらって体調を崩したのには苦笑した。
 そりゃああれだけごほごほ喧しい病人と同じ部屋にいれば感染るに極まっている。
 父の体調が治るまでは暇だからビアンカと一緒に外へ出てみると町が大変な騒ぎに包まれている。
 どうも我々の冒険が町中で話題になったらしい。すぐさま何人かが事の真相を訪ねてきたので例の宝玉を出すと露とも疑わずにすっかり信じている。
 話題がすぐに広まるのも人を疑うことを知らぬのもやはり田舎町によくある特徴で私は辟易したが、町人は揃ってよくやったと云って褒めてくれるのでいい気分だ。

 

77: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:44:44.07 ID:1dmR7XxL0
 すると顔のそっくりな兄弟が黄色い猫を連れてやってくる。
 何事かと思えば例の豹とそれを虐めていた兄弟である。城での出来事で気を取られていた我々はすっかりそれを忘れていた。
 本当にやるとは思わなかったと片割れが云うがもう片方はやっぱりやったかとでも言いたげな顔をしているからこの差は何だろうなと思った。
 約束は約束なので豹は受け取った。私が口を開こうとすると子供らは一目散に逃げていくから余程豹の怖さを思い知ったらしい。

 

78: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:45:13.40 ID:1dmR7XxL0
 ビアンカがこの子はどうするのと聞いてきたので野に返す他なかろうと云うと、少し不安げな顔でそれじゃあまたさっきみたような子供たちに虐められるわよと至極真っ当な意見である。
 私が旅をしているうちに人気のない場所に向かうかもしれないからそこで放すと提案すると渋々了承した。
 すると脈絡もなくじゃあ名前を付けなきゃと云い出すから驚いた。逃がすのに名前を付けては情が湧いて逃がしにくくなるだろうに、他人事だからと気にかける様子がない。
 しかし一々それとか豹とかと呼ぶのも不便なので了承した。

 

79: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:46:15.94 ID:1dmR7XxL0
 ビアンカが四つほど名前を挙げてこれから決めましょうと云う。
 聞けばみな「なかよし四人組」という絵本の登場人物の名前である。
 まあ子供らしい安易な発想だが、私もきっと似た経緯で名付けていたに相違ないからそれに賛同することにした。
 単簡に補足すると、その四人組というのはボロンゴ、プックル、チロル、ゲレゲレという連中の話だ。
 それもそれぞれ性質が全く違っており、似たところが一つもないのにとても仲良しというのだから驚きである。
 一人々々が優しかったり賢かったりと個性を持っているが、私は勇敢な性質が好きなのでゲレゲレと名づけることにした。

 

80: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:47:20.96 ID:1dmR7XxL0
 一通り遊んで宿に戻るとダンカンとそのおかみがよくやったと誉めてくれた。
 幽霊なんぞに住人の生活が脅かされていたわけでもないのにこう無暗に誉められてもありがたみが薄れる。
 しかしダンカンは父親似で勇気があるなと云ってくれたので嬉しい。
 無鉄砲さだけでなく勇気まで遺伝しているならそれに越したことはない。
 宿でもう一晩夜を明かすと父の体調もすっかり元に戻ったからサンタローズに戻ることにした。

 

81: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:48:28.25 ID:1dmR7XxL0
 宿の家族と町人に挨拶をすれば、ビアンカが去り際にこちらへ駆けてくる。
 何かと思えば、しばらく会えないかも知れないからこれをと云って赤いリボンをくれた。
 男子がリボンで装飾するのも変だろうと困った顔をしているとじゃあゲレゲレちゃんにつけてあげると云って尻尾の先に巻き付けてしまった。
 雌雄は分からないがゲレゲレ本人は喜んでいるのでこれで好かろう。

 

82: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:50:07.70 ID:1dmR7XxL0
 ビアンカがまた一緒に冒険しようねと云うので無論だと約束した。
 絶対よ、と念を押すので絶対だ、と返して手を握ってやると顔が赤くなっている。
 するとお返しと云わんばかりにこちらの額にキスをしてきたのでとうとう二人揃って真っ赤になってしまった。
 周りの大人がひゅうひゅうと囃し立てるので恥ずかしくなって手を放すと、ビアンカが名残惜しそうな目線を送る。柄にもなくこの町に留まりたいなどと思った。
 元気でね、と挨拶を交わしてようやく二人は分かれた。
 我々のそのうぶな様子を見て父も相好を崩していたが、町を出ると早速レヌール城への遠征について聞かれた。
 もういい加減怒られそうだと思っていると父は勇気と成果に対して褒めるところから始めたので優しすぎるのも考え物だなと思った。

 

84: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:54:54.79 ID:1dmR7XxL0

少し休みます

デボラの描写のためにDS版を準拠にしていますが、ところどころSFCPS2、小説版などの設定を入れ込んだりしています

文体もシリアスな場面では坊っちゃんを逸脱して他の漱石作品に近づけられればいいかな、とは思っています

 

85: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 17:56:52.03 ID:1dmR7XxL0
>>83
申し訳ないです……
誤爆したスレに一言置いた方がいいのでしょうか?

 

87: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 18:12:22.83 ID:1dmR7XxL0
誤爆してしまいましたが、向こうのスレの流れを乱してしまいそうなので代わりにここでお詫びします
本当にごめんなさい……

誤爆分が投下できていなかったので >>66 と >>67 の間に以下の文を挿入してください

 

88: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 18:12:55.78 ID:1dmR7XxL0
 階段を上がればやはり闇で、松明を点けると四方がぼんやりと明るくなる。
 同階の部屋を巡ると玉座の間らしき部屋に着く。見ると付き添いや使いの類も居ないのに玉座に座る淋しい奴がいる。
 正面から堂々とやい、貴様が悪霊の親玉かと聞けばそいつは如何にもと物々しく応えた。
 よくぞ来た。その勇気賞賛しよう、さあこちらにおいでと見え々々の挑発をするから貴様なんぞの招待など受けぬと云えばこちらへ来ればおいしい御馳走もあるぞと戯けたことを抜かす。
 人を馬鹿にする態度に腹が立ったので一発殴ろうかと身構えると突然足が宙に浮いた。どうやら落とし穴に嵌ったらしい。
 上でもっとも御馳走は貴様らの方だがなアハハと洒落なんぞ云っていやがる。何がアハハだ。次に会ったら容赦はせぬ。

 

91: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 19:37:51.18 ID:1dmR7XxL0


 サンタローズに戻ると不忠のサンチョがお帰りなさいませをしてくる。
 私が開口一番やい、このでぶめ、貴様が護衛の肩代わりをしなかったおかげで父さんは病気に罹ってしまったぞと突っかかると小さい目をさらに点にして驚いている。
 父が説明をするとサンチョは顔を真っ青にして申し訳ありませぬ、なんとお詫びしたらよいかとぶるぶる震えている。
 よい、もう過ぎたことだと父は寛容だがやはり優しいというより甘いというのが正確ではないかしらん。

 

92: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 19:38:34.99 ID:1dmR7XxL0
 私がなぜサンチョを行かせなかったのですと聞けば彼は戦闘があまり出来ないから代わりに家の仕事をさせているのだと云う。
 いわゆる家政婦のような立場なんだろうが、それにしたってもう一人くらい召使いを雇えば好かろう。
 その旨を伝えると父は笑ってそう易々と人を雇えるほど豊かではないよと云うから合点がいった。
 サンチョは男のくせに力仕事が出来ないから給料も安くて済むんだろう。なるほどこれは貧乏人が雇うにはお誂え向きの人材だ。

 

93: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 19:39:08.94 ID:1dmR7XxL0
 私は今までサンチョが怠けているものとばかり思っていたがこれは大変な誤解である。
 今まで少し軽んじていた風の態度が間違いとあっては何もしないでおくのは勘弁ならない。
 屋敷に入って早速サンチョに向かって今までお前を軽んじておった、すまん、と潔く謝るとサンチョは何事か解せない様子だ。
 仕方がないから正直に、私は今までお前をただの独活の大木、木偶の坊、穀潰しとばかり思っていたがそうではない、お前には事情があったのだな。そうと知らず心の中で下に見ていたからお前に対して非常に申し訳ない。どうかこの通りだから許してくれと一息に云ってしまうとサンチョは坊っちゃんは全体何を仰っているのですかとやはり分からない様子だ。

 

94: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 19:39:36.49 ID:1dmR7XxL0
 もう一遍繰り返そうとすると何の騒ぎだと父が降りてくる。
 私がこれこれこういう事情ですと説明すると父はなるほど、それはいかんなとちゃんと怒ってくれた。
 しかしそれはお前がサンチョについて知らなんだから起こった誤解で、然るにそれをきちんとお前に説明しなかった俺も悪いと父も罪を被る。
 どうかこの通りだから許してくれと親子二人で謝るとサンチョはなんだかよく分かりませんが、そう云うのであれば何もこちらとしては云うことはありません。一切許して差し上げますから顔を上げてくださいと慌てふためく。

 

95: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 19:40:17.19 ID:1dmR7XxL0
 頭は鈍いが悪い奴ではなさそうだ。むしろこう思われていたと知ってなおにこにこしているからそこらの大人よりずっと気持ちのいい奴だ。
 私はこのサンチョがこの一件以来好きになった。
 誤解も解けたところで一息つくと父が調べ物をするとかでここにしばらく滞在するとのことだった。
 暇だから遊んできますと云うと村の外には出ちゃいけないよと釘を差されてしまった。
 こんな何もない田舎で何をして遊ぶのだろうか。外に出られなければ山や川にも行けぬ。

 

96: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 19:40:53.02 ID:1dmR7XxL0
 サンチョがまな板の場所を聞いてくるから知るわけがなかろうと一蹴して外へ出る。
 日用品のしまった場所を忘れるようでは家政婦としても役に立つかいよいよ怪しいが、あの人格を鑑みれば愛嬌だろう。
 仕方がないからあちこちある施設をぶらぶら回ってみることにした。

 

97: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 19:41:21.97 ID:1dmR7XxL0
 まず屋敷の隣には教会がある。ここのシスターは神に仕えているくせに村の男に惚れているようで罰当たりだ。これでは信徒が絶えるのも遠くはなかろう。
 その奥には先日父が洞窟に入るために通った小屋がある。小屋と行っても屋根がないので壁と行っても差し支えない。しかもその壁に住む変わり者まで居る。
 屋敷に戻って南へ向かうと武器屋がある。あらくれものが武器を売っているが防具の類は一つもないのでこの村の住人はみな傷など省みんのだろう。
 川を挟んだ対岸には宿屋がある。ダンカンの宿屋ほど立派ではないが酒場を併設しているので殊勝な経営方針とみる。
 そして隣には民家がある。若い者は出稼ぎに行ったか村を抜け出したかで老人しかいないが、鍋いっぱいの飯を悪戯でかき込む程に非常に健啖な某なので侮れない。
 主要な施設はこれくらいだ。後は畑ばかりで辟易する。先日足止めを食っていたビアンカの気持ちが嫌と云うほど理解できた。

 

98: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 19:42:07.90 ID:1dmR7XxL0
 村を巡る途中で自分とかなりよく似た風貌の青年に出くわしたときは驚いた。
 なにしろ懐に大事にしまってある宝玉の存在を言い当てて見せたばかりでなく、それを少し見せろとのたまうのだ。
 いっそ断ろうか、それとも見物料でもふんだくろうかと考えているとアハハ、参ったな、盗むつもりはないよと無邪気な顔で笑うので浅いことを考えていた自分が少し恥ずかしくなった。
 一応盗まれたりすり替えられたりしないか警戒したがそんな素振りは一片も見せずにありがとうと云って返してくれたので拍子抜けである。
 しかしこんなに寒い時分に汗をかいているからきっと汗っかきなんだろう。
 寒いから汗は拭きなよと云うとああ、気をつけるよ、君もお父さんを大事にねと云って青年は去っていった。

 

99: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 19:42:40.77 ID:1dmR7XxL0
 その青年も十分不思議だが、この寒さにしても不思議だ。
 そろそろ春だというのにこれでは芽吹くものも縮こまってしまう。
 住人の中にはわざわざ家から出てたき火をするものが現れる始末だ。
 しかし逆に云うと変わったことはそれぎりで、他は平常通りのどかな田舎の風景だから至極暇である。
 暇で暇で仕様がないので村の中で一番近代的と思われる酒場へ足を運んでみる。

 

101: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 19:43:26.41 ID:1dmR7XxL0
 酒場の主人は子供はまだ早いよと注意したがミルクを注文すればちゃんと出してくれるので偉いもんだ。
 ちびちびと大人の真似事でミルクを舐めていると目の端にふわりと靄が漂った。
 またレヌール城の亡霊かと身構えたがよく見れば亡霊ほどぼやけてはいない。
 ただ半透明なだけで輪郭はしっかりあるので違う類のようだ。
 じっと見つめているとその靄が話しかけてきた。
 レヌール城で散々幽霊の類とは交流を深めたので今更何も感じないが、自らを妖精と称するのには驚いた。
 曰く他の人々には姿が見えないので話しかけられなくて困っていると云う。
 道理でカウンターの上に乗っかる非常識を主人に見咎められないわけだ。
 私は何も云わず酒場の主人にミルク代を払って外へ出た。

 

102: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 19:46:05.04 ID:1dmR7XxL0
 後から妖精が必死になって話しかけてくるがそのまま屋敷に戻って地下へ潜り込む。
 玄関でサンチョが坊っちゃん、まな板が見つかりましたよなどと騒いでいるが知ったことではない。
 地下に誰も居ないのを確かめて妖精を省みると気落ちした様子で帰ろうとしているから慌てて呼び止めた。
 一貫して無視を続けているからやはり見えないのか、と思ったらしいので説明をしてやった。
 他の者に君の姿が見えないのなら、君が話して僕が応答すれば他の者には私が虚空に向かって返事をしているようにしか見えない。
 御曹司が気を違えたとでも噂されれば父の世間体に関わるから黙って人気のない場所まで来たのだ、とそう云ったら納得した様子である。
 そこまで云うと地下室の扉が開く音がした。

 

103: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 19:47:15.18 ID:1dmR7XxL0
>>100
申し訳ありません >>66 と >>67 の間に >>88 を補完してください

 

104: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 19:48:11.30 ID:1dmR7XxL0
 父は階段を下りて私の姿を確認すると、ここはとても寒いから風邪を引かぬ内に出なさいと云ってくれた。
 私は頷いたが人目のない場所と云えばここくらいしかない。後は魔物の出る洞窟くらいだ。
 妖精はベラと名乗った。曰く妖精の国に未曾有の危機が訪れ、救援を呼ぶために人間界へ乗り込んだはいいが存在を察してくれないので困っていたという。
 普通人間の目には妖精は見えぬのかと問えば知らない、とりあえず見える人が居ないか探しにきたと云うから呆れた。
 杜撰な作戦もそうだがこの妖精の手口も噴飯ものだ。
 気づいて貰うためにあれこれ悪戯を仕掛けたようだが、姿が見えなくてはたとい気づいたとしてもどうしようもない。
 僕が現れなかったら貴様は今頃どうしていただろうなと調戯うと顔を真っ赤にして俯いている。

 

105: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 19:49:22.52 ID:1dmR7XxL0
 殊勝にしていれば顔はあの青いおかっぱみたようで綺麗だが、いかんせん耳が目立つ。妖精の特性だろうか。
 するとわたしは詳しい話は知らない、ポワン様に聞いてとそっぽを向けば地下室に光の階段を出現させた。
 天井をどうやってすり抜けているか知らないがすごい技術があったものだ。
 向こうに渡ったらちゃんと帰れるんだろうなと聞くと大丈夫よと云っているが信用ならない。
 しかしこのままでは死ぬほど退屈なので暇つぶしがてら妖精の国に行くことにした。
 もし帰れなかったら、ということを全く頭に浮かばせなかった所からやはりこの時も生来の無鉄砲がはしゃいだと見える。

 

106: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 19:49:51.14 ID:1dmR7XxL0
 妖精の国と云っても現実世界と何ら変わらぬ物理法則が働いているから困ることは何もない。
 ただ向こうは春の兆しがあるのに対しこちらは未だに真冬のように氷が張って樹氷が軒を連ねているからひどく淋しい。
 ベラがこっちと招くのでついて行けば大木をくり抜いて造った建造物がある。
 中は氷の階段や柱で装飾されていたが不思議と寒くはない。
 頂上には赤い敷布と玉座があり、そこには見目麗しい妖精の女王が座っていた。

 

107: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 19:50:47.17 ID:1dmR7XxL0
 ベラがポワン様、仰せの通り人間族の戦士を連れて参りましたと云うので危うく吹き出しそうになった。
 六歳児をつらまえて戦士とは、この国の窮乏の程が窺える。
 女王には側近が居るし大木の中には兵士らしい妖精も居るし何より雑用らしいベラも居るしで兵力が少ないようには見えないが、妖精族というのは余程非力なんだろうか。
 そう思っていると女王もまあ、なんてかわいらしい戦士ですことと笑っているのでベラは再度顔を赤くしている。
 すると女王はいいのですよ、全ては見ておりましたと神か宣教師みたようなことを云う。

 

108: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 19:52:37.92 ID:1dmR7XxL0
 ようこそ妖精の村へと挨拶をするのでこちらも頭を下げて応じる。
 あら、丁寧なのねと上機嫌な様子だから、偉そうな者には頭を下げておくのが一番だ。
 女王がきっとあなたは心がきれいだから私たちの姿が見えるんでしょうと云う。
 私は女王の気品に押し流されぬよう気をつけながら、では心のきれいでない人には見えないのでしょうかと質問した。
 すると女王はそうです、特に私達のような純真な存在を端から信じない者の目には写りませんと答える。

 

109: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 19:53:21.00 ID:1dmR7XxL0
 私はこの物言いに腹が立った。それでは私以外の人間は皆心が汚いと云うことになるのではないか。私が罵倒されるのは好いが、――いや、好くはないが――他の大人、殊に父やサンチョをつらまえてその言い草はいくら妖精の女王が相手でも聞き流せぬ。
 父はもとより、サンチョだって頭は良くないが心は誰にも負けないくらいきれいだろうに、何故私が選ばれたのか。
 大体自分たちを純真と言い切る傲慢も鼻持ちならない。
 私は目線を上げて、僕は自分の心がそんなにきれいだとは思いません。僕より心のきれいな奴はいくらでも居ます。それを差し置いて僕なぞを起用するのは他の人々に対する侮辱でありますと一息に云い抛った。

 

110: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 19:53:59.27 ID:1dmR7XxL0
 すると女王の側近の目つきが鋭くなったので少し後悔した。
 しかし女王は目線でそれを窘めて他の人の心がきれいでないとは云いません。ただあなたがとりわけきれいで、それでいて子供だから私たちを見ることができるのですと云った。
 子供だからですか、では大人はなぜだめなんですかと聞いた。
 大人は信じたくても信じられないのですと云う。
 みな子供の頃は純真に夢想する日があれど、成長するに従って現実や、敵や、自分を確かなものとして捉えるから私達のような曖昧な存在を信じる心がなくなってしまうのです。それは心のきれいさとは関係ありませんと続けた。

 

111: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 19:54:43.78 ID:1dmR7XxL0
 父やサンチョは心はきれいでも、現実なり自分なりを確固たるものとしているからあなた方が見えないのですかと問うとまさにそうです、と朗らかに笑う。
 では僕は心がきれいで、その上そういった足の踏ん張りどころがないから見えるんでしょうと云うとその通りですとまた笑顔。
 大方は把握したがまだ納得できない。しかし僕はそんなに自分の心の純潔に自信がありませんと云うと、妖精の女王は自分で自分の顔は見えないでしょう、鏡を通して初めて自分というのがわかるのですと分かりやすい例えをくれた。
 それに、と女王は含むような息をついたがその先は繋がれなかった。
 少し気になったが側近が剣呑な雰囲気でこちらを睨んでいるので黙っておいた。

 

112: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 19:56:31.31 ID:1dmR7XxL0
 私がむっつりとしているので女王がもしお気を悪くされたのでしたら謝りますと云った。
 女王に軽々しく頭を下げられると恐れ多いので、ただ妖精の法則を知らないで誤解しただけですから結構ですと遠慮しておいた。
 庶民にも迷いなく謝れるところをみると存外懐が深い。
 私は先の憤慨はお門違いとしてすっかり機嫌を直した。

 

113: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 19:57:20.08 ID:1dmR7XxL0
 女王がでは、と流れるような声色で事のあらましを説明し始めた。
 単簡に端折るとはるかぜのフルートなる楽器をここの女王が吹けば世界に春が訪れるらしいが、よりにもよってそれを某なる人物に盗まれてしまったという。
 おかげで妖精の世界は未だに冬景色、現実の方も春の息吹が訪れぬままととにかく迷惑な話だった。
 私はそれこそその某を締め上げてしまえば好いでしょうと云うとそこにいた妖精三人が信じられないと云った目つきをする。
 曰く妖精には剣を振るう力がないからあまりそういった剣呑なことは出来ない、それゆえ私のような戦えるものを探していたと云う。
 女王の側近などはさっきから尋常でない殺気を抛っているから戦えるものとばかり思っていたがそうでもないらしい。

 

114: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 19:58:10.35 ID:1dmR7XxL0
 私たちに力を貸してくれますかと女王が問うた。
 私は一寸悩んだが、元の世界に戻ったところで待っているのは畑と寒さばかりだし、第一妖精の力を借りないと戻れないからやはり頷いた。
 あいわかりました、その命お受けしますと云うと女王は爛漫な笑顔で頼みますと云う。

 

115: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 19:58:53.82 ID:1dmR7XxL0
 安請け合いをしてしまったがこれは甚だ大変な仕事である。
 春が来なければ作物が育たぬ。作物が育たねば食うものがないから多くの動物が死ぬ。動物が氏ねば植物は種や花粉を運んだり死骸を肥料にしたり出来なくなるからいずれ朽ちる。
 つまりそのはるかぜのフルートなる楽器には世界の存亡がかかっているのである。
 それであるのにここの住人は随分呑気だ。春が来ないと少々寒いなあ程度にしか思っていない。そんなんだから国宝を盗まれるのだ。
 レヌール城のエリック王といいポワン女王といいどうして唯一無二の品物をぞんざいに扱えるか感覚が知れない。

 

116: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:00:17.66 ID:1dmR7XxL0
 ポワンはお供として雑用のベラをつけてくれたが前述のように妖精は非力らしいから連れて行っても役に立たない。
 おそらく監視を兼ねているのだろうが、全てを見通しているポワン様ならそんなことをせずとも私が後ろめたいことをすればすぐに察知できるのじゃないか。
 よし威圧の意味があるとして非力なんだからふん縛ってそこらに捨て置くこともできる。
 およそベラがついてくる意味が薄いのでおい、君が来なくたっていいんだぞと云うと私も手伝うからと云ってどこまでもついてくる。

 

117: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:01:46.99 ID:1dmR7XxL0
 仕方がないからそのままにして村の中央まで戻れば冬景色に似合わぬ黄色い毛皮の小動物が震えている。
 近づくとなんとゲレゲレであった。家で大人しくしていると思ったらいつの間にか地下室までついてきてそのままここに紛れ込んだと見える。
 寒空の下で野晒しはあんまりかわいそうなので一緒に連れて行くことにした。
 ベラがキラーパンサーだわと驚いているがやはり魔物の類のようだ。
 この間拾ったと云うと驚いた目つきをして決して人には懐かないのに、と今度は不思議そうな顔をする。
 魔物が人に懐くのは方々でも聞いたことがないから確かに珍しいかもしれない。
 しかし魔物となると徒に人を怖がらせてしまう恐れがあるので迂闊に外には出せないだろう。

 

118: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:02:36.41 ID:1dmR7XxL0
 村には先の女王の住まう大木の他に木をくり抜いて作った小屋が何軒かある。
 ベラのようなエルフの妖精の他にドワーフという小男の妖精やレヌール城で出会った骸骨みたような幽霊までいて混沌としている。
 骸骨が宿屋の真ん中で入浴しているのには驚いたが、もっと驚くことに、人間の老人とスライムが小屋の下でたき火をしている。
 さっきの女王の話では大人になると足が地に着くから妖精を見られないとのことだったが、どうだ、立派な大人がいるではないか。
 後で女王に談判する材料にしようと思って話しかけてみるとほがほがと何を云っているか聞き取れないのには閉口した。
 なるほどこれは地に足が着いているとは言えない。大方大人の身分のくせに心が子供なんだろう。羨ましいもんだ。

 

119: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:03:29.01 ID:1dmR7XxL0
 老人に用がなくなったので隣のスライムに向かう。
 前に洞窟でばったり出くわしたスライムだろうか、そうだとしたら謝るかと考えていると別のことを云うから安心した。
 なぜか無性にぶっ叩きたくなったがキラーパンサーと仲良くしている手前スライムだけ特別というのも不合理なので我慢することにした。
 村の妖精には無闇とポワン様はいかんポワン様はいかんと反対している奴が居るから何事かとベラに聞けばポワン様は近代まれにみる鳩派の方で、それで一部の鷹派から反感を買っているという。
 私は鷹も鳩もないが国宝を盗んだ者を無罪放免というのは鳩と云うより鮪だ。あるいは鴨と葱だと思った。
 国としての統率が取れていないからこうなるんだろうが、部外者の立場では何とも云えないからもどかしい。
 もっともよしんば云えたとして六歳児の言動を気にかける人間がどれほどいるかしらん。

 

120: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:04:59.18 ID:1dmR7XxL0
 公衆の面前で風呂を浴びていた破廉恥な骸骨の話によると村の西に洞窟があって、そこには村を追い出されたドワーフが住んでいるらしい。
 それも鍵の技法なる奥義を編み出した罪とかで流されているから可哀想だ。
 新しい技術を生み出しただけで追放されるんならこの国の文明はいっこうに発達しない。
 そんなんだから骸骨が風呂に入って家が木彫りでスライムが老人と一緒にたき火に当たったりするんだ。
 ポワン様の代ならそんなこともなかったろうに、と続けるからこの骸骨は鳩派と見る。そうなると前の代の女王がどんな政治をしていたか気にかかる。

 

121: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:05:35.54 ID:1dmR7XxL0
 手がかりらしい手がかりはそれくらいなもので他は北西に氷の館なるものがあるらしいが、玄関に鍵がかかっているから中の様子は誰も知らないんだという。
 とんだ開かずの間があったものだ。開かないなら行っても仕様がないからまずは西の洞窟に向かうことにした。
 村を出てみると辺りは凍っていたり雪が積もったりと相変わらず淋しいがそれよりここでも相変わらず魔物が出るから驚いた。
 おい、ここは心のきれいなものしか来られないんじゃないのかと聞くと魔物も本能に従っているんだからある意味純真よ。それに心がいくらきれいだって現実世界で妖精を見られるというだけで、この世界に居れば心が邪悪でも妖精の姿は見えるのよと云う。

 

122: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:06:41.25 ID:1dmR7XxL0
 理屈はよく分からないが、妖精が現実世界に訪れると心のきれいな子供にしか見えなくなるというだけのようだ。
 随分と不便な性質に生まれたものだ。おかげでおよそ頼りがいのない餓鬼とついでで渡ってきた豹ぐらいしか頼れる伝手がない。
 ただその時は一寸可哀想だと思ったけれども戦闘になるとベラがさも当然のように加勢してくるには恐れ入った。
 妖精は争いごとができないんではないのかと聞けば、剣を振るう力がないだけで魔力は普通にはあるわよと平然とのたまう。
 力はないが魔力はありますと云って非力が通るなら、武器はありませんが爆弾はありますなどと云って非武装を謳うのだって通る。大方妖精だから人の理屈が通じないんだろう。
 そんならフルートを盗んだ某なぞもその閃熱呪文で焼き払ってしまえば好かろうと云うと何て恐ろしいことをとでも言いたげな目をする。呆れてものが言えない。

 

123: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:07:23.62 ID:1dmR7XxL0
 その代わり回復はお手の物だから私に任せなさいとビアンカみたような事を云う。
 ただギラで敵を焼き焦がす時の彼女の瞳は喜びに満ちていたのでひょっとすると黒いおかっぱの系譜かもしれぬ。
 戦闘を少しこなすと腹が減ってきた。村に戻れば飯はあるかと聞くと冬だから木の実しかないと云う。
 いくら腹が減っても木の実では凌げないし第一栄養が足りない。するとギラで焼けたガップリンがうまそうなので試しに食ったら存外いける。
 ベラは嫌がったが焼きリンゴの甘い匂いに釣られて一口頬張ったらあっという間に全て平らげたから小柄な妖精のくせになかなか健啖だ。

 

124: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:09:29.75 ID:1dmR7XxL0
 西の洞窟へ着くとやはり洞窟なだけあって暖かい。
 先へ進むと話に聞いたドワーフがいる。それもスライムなんぞと暮らしているから油断できない。
 最近はスライムの中でも人や妖精の側につく不届き者が多いから魔物の親玉は反逆を防ぐ策を弄するが好かろう。
 ドワーフの話によるとザイルとかいう小僧が勘違いをしてフルートを盗んだと云うから呆れた。
 餓鬼が国宝を盗めるなら私にだってポワン様の王冠を盗める。もちろん天地がひっくり返ったってそんなことはしない。
 ザイルをこらしめるお礼として鍵の技法を授けると云うからそんな先のことはまだ分からないからまだくれないでいいと云うとどうせこんな辺鄙なところに二度も足を向かわせるわけにはいかないから先に持って行けと云う。

 

125: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:10:10.26 ID:1dmR7XxL0
 云われれば確かにフルートを取り返したら後は真っ直ぐ妖精の村に帰る気でいるからこんな所にまた来るのは面倒で、はっきり云うと無駄だ。ありがたくお言葉に甘えさせていただく。
 ところで鍵の技法というのは何だと聞くと、開いていない錠をあける技法と云うから私は憤慨した。そんな泥棒の使うような技術を作るから村を追い出されるんだと云うと馬鹿たれ、そんなつもりで作ったんじゃない、鍵をなくして困っている者のために発明したんだと云うので鞘を納めた。ものは使いようだ。
 一応礼としてはもらって行くが使うつもりはない。鍵屋にでも売ればそれなりになろうと心に決めておいた。
 奥の宝箱に封印してあると云うので先へ進む。

 

126: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:12:12.16 ID:1dmR7XxL0
 洞窟には相変わらず魔物が蔓延っていて辟易したが構造は単純だからすぐに最奥部までたどり着く。
 宝箱があるので中を見るとぼろい紙の巻物が入っている。これがそうかと手に取ると見る間にぼろぼろと崩れ落ちていったから非常に焦った。
 子供の身分では禄な弁償も出来ないぞと思っているとベラがそれが鍵の技法の奥義書よ、やったわねと喜んでいる。
 そんな大事なものをたった今壊したんだからやったわねもないもんだ。
 しかしベラはこれであなたも鍵の技法が使えるわと云う。
 どういうことかと尋ねると奥義書は手に取った者の手元で消えて使用法を授けるというのだから驚いた。
 難解な技術の指導書などは解読したはいいが習得が非常に難儀で手に余ると云うが、それを手に取るだけで容易に会得できるとは偉い発明だ。

 

127: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:13:04.29 ID:1dmR7XxL0
 もっともこれでは鍵屋に売れないので計画が破綻してしまった。自分は鍵屋になるつもりも泥棒になるつもりもないからただの宝の持ち腐れでもったいないばかりである。
 過ぎたことはいいとしてフルートを盗んだザイルが西の洞窟にいないとなれば他は北西の氷の館しかない。
 しかしあそこは鍵がかかっていて入れないんじゃないかとと云うとあなたがたった今それをこじ開ける技術を手に入れたじゃないと平然と抜かす。
 鍵開けなんて不名誉な技術は永遠に封印してしまいたかったのに、この妖精は目的のために手段を選ばない。
 大体ザイルがそこにいる確証もないんだからそれで中がもぬけの殻だったら我々はただ泥棒しに入ったようなもんだぞと云ったらポワン様なら許してくれるわと甘えたことを云う。
 だが本当にそうなりそうだからポワン様の鳩思想も大概にしてほしいもんだ。

 

128: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:13:45.24 ID:1dmR7XxL0
 洞窟を抜け、雪原を渡って館を目指していると四人組の似たり寄ったりの様相をした魔物が襲いかかってきた。
 まるで絵本に出てくる連中のようだと思っているとイオナズンギガデインベホマズンのような高等呪文を詠唱するから仰天した。
 あわや全滅かと肝を冷やすが唱えた連中はすっ転んだり魔力切れの咳をしたりとてんでへっぽこだ。
 しかし万が一にも成功したら大惨事なので急いで叩き伏した。こけおどしだって立派な脅しだ。

 

129: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:14:52.90 ID:1dmR7XxL0
 館に着くと辺りより一層冷え切った気温だから閉口する。
 玄関は噂通り鍵がかかっているようだが、なぜか私にはそれをこじ開ける方法が分かっていた。
 実行してみるとはたして錠前がかちりと音を立てて掛け金を放した。
 これまでついぞ人のものを盗んだりしてこなかった私はこの泥棒みたような真似が不快だったが、それももっと悪い泥棒を捕まえるためと振り払った。

 

130: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:15:57.11 ID:1dmR7XxL0
 館の周りも寒かったが中はいっそう寒い。何しろ内装が気狂いの発想としか思えない。床はみな氷張りで壁は切り出した氷、柱は氷、天井もやはり氷だ。
 これでは館というよりくり抜いた大きな氷の中にいるようですこぶる身に堪える。
 さっさと調べて帰ろうと一歩を踏み出せば足元がなくなった。
 落とし穴に嵌ったのではなくあんまり丁寧に床が磨かれていてそのせいで滑ったんだと気がついたがもう遅い。
 ご丁寧に入口に面して開けてある大穴に向かって体が滑り込んでいった。
 穴の下は地下で、そこも四方が氷でできた部屋があったが上からベラとゲレゲレが律儀に滑ってきているのを見て驚いた。
 馬鹿正直についてくる奴があるかと云ったら単独行動は危ないわよともっともなことを云う。ゲレゲレは飼い主の安否を気遣ってやってきたんだろう、かわいい奴だ。

 

131: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:16:39.41 ID:1dmR7XxL0
 そこらにこれみよがしな宝箱があったが多分人の所有物なので開けない。
 不法侵入しておいて何を今更と云われるかもしれないがこれだけは譲れぬ。
 幸い地下には階段があって元の場所に戻ることができた。
 この館の居住者もよくあの入り口から落っこちるから設えたんであろうが、それなら初めから穴など塞いでおいたら良さそうなものだ。
 一階には屋上へ通じる階段があるが床が前述の通りつるつる滑ってうまくそこまで行けない。
 四苦八苦しつつも階段まで着いて上がってみれば屋上も氷張りで閉口した。天井が氷製の時に薄々感づいてはいたが、また転んで頭を打ったら大変だから慎重に行く。
 ゆっくり踏み出せば平常通り歩けるので安心したがふとすると足が思わぬ方向へ滑るので気が抜けない。

 

132: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:22:21.49 ID:1dmR7XxL0
 はたして屋上の祭壇には覆面を被った小僧がいた。
 貴様がザイルかと問うとそうだ、お前らはポワンの使いかと問い返すのでフルートを取り返しにきたと云った。
 するとポワンはおれのじいちゃんを追い出した憎い奴だから困らせてやったとわからないことをほざく。
 おい、何の話だと云うが雪の女王様の云うことだから間違いはないと聞く耳を持たず襲いかかってきたのでかしのつえで脳天を一発盛大にくれてやった。
 するとゲレゲレを虐めていた兄弟の如く無様にひっくり返るから思わずアッハッハと笑ってしまった。ベラが苦い顔をしているが知ったことではない。

 

133: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:23:00.55 ID:1dmR7XxL0
 ギラで焼いたり氷の床に叩きつけたりしてどうにか気を失ったザイルの目を覚まさせようと奮闘していると後ろからやめておあげと声がする。
 振り向くと雪の結晶を意匠した青いドレスを着た美しい女が立っている。容貌はポワン様に少し似ているが目つきは氷のように冷たく人を寄せ付けない。
 子供を誑かしてどうかするなんてのは浅い知恵だったわねと自嘲しているのでなんだ貴様はと云うと私は雪の女王。静謐と純潔を愛する冬の使者などと大層な肩書きで名乗る。
 はるかぜのフルートはここにある。返して欲しくば私の云う通りにしなさいとまた浅い知恵を発揮しそうなので嫌だと一言断って殴りつけた。
 紙一重でかわされてしまったが、顔を掠めたようで女王の頬に赤い筋が走っている。

 

134: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:24:11.70 ID:1dmR7XxL0
 すると冷ややかだった目がすっと激しい形相へ変貌し、よくも私の顔に傷を付けてくれたわねと恐ろしい声を上げる。
 今までの冷静はどこへやら、よくもよくもを繰り返しながら何やら唱えている。途端、女王の姿が魔物へと変わった。
 青い肌にぎょろついた大きな眼、下品に笑う大きな口、よく分からないスカートのような服装、青い炎のように揺らめく髪、しまいには両手に氷の魔法の靄を携えている。
 これが本性と見える。形態の変化する相手は怖いと物語で聞かされていたから気を引き締めてかかれば本当に強敵であった。

 

135: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:25:34.19 ID:1dmR7XxL0
 何しろ体力が異常だ。さっきは顔を掠めただけで怒り狂ったから打たれ弱いかと思えば殴っても殴ってもへこたれない。その上ホイミで傷を治すから始末が悪い。
 こおりつくいきを吐けるようで集団を相手取るのが得意なようだから長期戦は不利と見た。
 ちまちまと回復するのを止めて二人と一匹でたこ殴りにすることにした。
 すると流石に息が切れてきたと見えるので傷つけられるのを嫌がっていた顔面をえいや、と一発かましてやったら向こうへ派手にすっ飛んでいった。
 とどめを刺しに追いかけるとなんと女王の体が燃えていた。
 ベラの魔法かと思えば後ろからやっとこさ追いついてくるのを確かめたから違うようだ。
 あれよあれよという間に女王の体は燃えつき、灰も残さず消えた。
 他の魔物と過程は違えど力つきると跡形もなくなるのは同じのようだ。

 

136: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:29:39.56 ID:1dmR7XxL0
 祭壇まで戻るとザイルが息を吹き返したようであわあわと震えている。
 あれが貴様の信仰していた奴の本性だと教えてやるとああ、おれが間違ってたよ、すまんかったと潔く謝る。
 どうもあの女王にポワン様が西の洞窟のドワーフを追い出したものと吹き込まれていたらしいから根は悪い奴ではないのかもしれぬ。
 それならさっさとポワン様に談判すれば良かったのだ。盗みなんぞ卑怯者のやることだから今後腹が立ってもせぬようにと云うともうしないと誓う。
 反省したのは好いが盗みを働いて他の者を困らせたのは事実だから後でポワン様とみなに謝罪に行かせることにした。

 

137: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:31:39.59 ID:1dmR7XxL0
 はるかぜのフルートを取り戻した我々は意気揚々と村に戻った。鷹派でも春が来ないのは困るようで皆一様に喜んでいた。
 スライムが妖精や骸骨と仲良くしているところを見るのもこれが最後かと思っていると、ベラがスライムも寒ければ固まるのかしら、試してみたかったわなどと物騒なことをぼやく。
 今度氷河まで連れて行って突き落として見るのも良さそうだ。ただ人の好い父が何と云うか知れぬ。

 

138: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:33:32.29 ID:1dmR7XxL0
 ポワン様に謁見してまずは不届き者のザイルを突き出した。
 するとポワン様は騙されていたのなら許しますと相変わらず鳩だ。
 騙される方もある意味悪いのだから少しくらいは注意を促したって好さそうなものだが、ポワン様の笑顔を見ると何だかどうでもよくなってきた。
 ザイルを帰してフルートを献上すると、ああ、これがまさにと大層嬉しそうな顔をする。
 さあ、宝を取り戻してくれた勇敢な少年よ、もう少しこちらへ来て顔をよく見せて下さいなと云うので身を乗り出すと顔を両の手で包まれて真向かいに見つめられるからえらく照れた。

 

139: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:35:14.48 ID:1dmR7XxL0
 恥ずかしくって目を伏せたかったがそうすると何だか後ろめたいものがあると思われそうなので負けじとこちらも見つめ返す。
 見ればやはり妖精なだけあって大変綺麗な顔をしている。しかも女王だから気品も備わっていて実に神々しい。
 耳ばかりがキツネみたように長いのは人間の目からすれば異様だが、神秘性を擁しているようでそれも人に非ざる者のみが持つ魅力のように思えた。
 私は何だか魔法にかけられたようで頭がぼうっとして何も考えられなくなった。そうしてポワンの深い瞳に吸い込まれそうになりながら見つめていると意識が遠くなる。
 あわや気絶という所でようやく体が離れた。

 

140: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:35:47.55 ID:1dmR7XxL0
 ポワンがよくやってくれました、やはり私の見込んだ通りあなたは勇敢の素質が云々と悠然と語っているが耳に入らない。すっかり腑抜けになっている。
 ポワンがどうされました。と心配そうな目つきをするので何でもありませんと云って気を取り直した。
 見つめられるだけで骨抜きにされては男子としての沽券に関わるから精一杯気を確かにした。
 ポワンは何かお礼でも差し上げられればと云うので私は思わずされば、ポワン様の抱擁を頂きたく思いますなどと云ってしまった。

 

141: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:36:25.34 ID:1dmR7XxL0
 今思うとなぜこんな無鉄砲な言葉が口から出たのかとんと見当がつかぬ。
 すると側近の目つきが険しくなったのでやはり後悔した。
 ポワンは当初驚いた顔をしていたがいいでしょう、あなたが望むのならと両の腕を広げる。
 云ってしまったものは仕方がないので女王に接近するがますます側近の相貌が不穏になるのを見て少し怖じ気付いた。けれども足は知らず内に進んでいた。
 意を決して懐に飛び込むと、不意に何だか懐かしい香りを感じた。それは母のものであった。 

 

142: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:37:13.29 ID:1dmR7XxL0
 先述の通り私は物心つく前も父と二人旅をしていたから母親の暖かみというのをついぞ知れない。
 母の姿も、声も、匂いも、優しさも、顔さえ知れない。
 初めにポワンと相対したとき、私は脳裏に母が思い浮かんだ。
 そしてポワンと抱き合った時、まさに母親の懐で甘えるような心持ちがした。同時に、今まで忘れていた母性への耐え難い欲求も感じた。
 もし今時分に母が生きていてそれに抱きつくことがあれば、丁度今のように感ぜられただろう。
 先の抱擁を頂きたく云々は母を求めたが故の本能の叫びだったのかも知れない。

 

143: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:37:56.31 ID:1dmR7XxL0
 すっかり安心しきって抱き合っていると横合いから咳払いが聞こえる。
 側近がもう好いでしょうとでも言いたげな目線をしているのだろうがこちらからは見えない。
 するとポワンが腕を上げて頭を撫でてくれた。側近には悪いがもう少しこのままでいさせてもらう。
 しばらくするとポワンが耳元で、もし大人になって困ったことがあったら私を訪ねなさいと云った。
 大人になったら妖精が見えませんと云うと周りの子供たちに助けてもらうのですよと助言をしてくれた。
 もしそれができるなら初めから父を連れてくればよかった。
 しかし結果的にこんな目に会えたのだからこれで好い気がした。

 

144: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:39:30.87 ID:1dmR7XxL0
 私は抱き込む腕の力を強めた。そうしてポワンの匂いと暖かみをできるだけ取り込もうと努めた。
 ポワンがふふ、勇敢とは云えまだまだ甘えたい時分ですねと茶化してくるからそうです、何せまだ六歳ですからと言い訳をした。
 そうだ、しかもただの六歳ではなく母の居ない六年を過ごした子供だから一層そういった温もりには飢えている。この千載一遇の機を逃してはもうこの先一生温もりとは無縁に生きるかも知れない。そういう恐れもあった。そうして実際に私は淋しかった。
 隙間を埋めるようにして私は必死になって温もりに縋りついた。

 

145: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:40:38.51 ID:1dmR7XxL0
 ポワンがそろそろお別れですわねと淋しそうに云う。
 女王様も僕なんかの我が侭に付き合って頂いて有り難うございますと云えば、ポワンが私は女王ではありませんよと少し困った顔をする。
 聞けば女王はまた別の所にいて、ここにいるポワンはいわゆる村長の立場にあるらしい。
 しかしついぞ女王には出会わなかったのであなたが女王で好いでしょうと云うとその理屈は分かりませんが、あなたが呼びたいなら好きにして構いませんと寛容だからそうすることにした。
 さようなら、と手を振ればそれではまた、と必ずいつか会うかのような挨拶をするから少し淋しさは紛れた。

 

146: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:41:49.91 ID:1dmR7XxL0
 足下にゲレゲレがいるのを確認して別れを告げると、大木の階段を非常な勢いで駆け上がる者がある。
 何かと思えば村に置き去りにしていたベラだ。手に枯れ枝を持っている。
 どうして置いて行くのよ、と問うから貴様が方々へ自慢をしに行くからその間隙を縫ったのだと云うとポワン様に挨拶はしたの、と礼節の方を重んじる様子だから殊勝だ。
 ああ、もう別れを済ませたと云うとそれじゃあ私からも、さようならと云って枝を差し出す。
 今は枯れ枝でも春になったらきっと芽吹くからと云って寄越してくれるが枝なんぞ要らない。
 適当にポッケへ抛り込んでは、うん、またと返してポワンに向き直る。

 

147: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:42:39.85 ID:1dmR7XxL0
 ポワンがフルートを口元へ当てる。巧みな息づかいと共にうららかな明るい音色が辺りへ木霊した。
 すると周りの冬景色が見る見る内に溶け、春の息吹が方々を埋め尽くした。
 葉の落ちた桜が急速に芽吹き、蕾が開いて桜の花を咲かせる。風は湿気と温度を含んで地上を広々と駆けめぐる。
 はるかぜのフルートは目覚めの喚起を歌い上げ、眠っていた生を一斉に呼び起こした。生物もそれに応えてあちこちから鬨の声を上げる。
 かくして世界に春が訪れた。

 

148: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:43:32.14 ID:1dmR7XxL0
 フルートを操るポワンの姿に見とれていた私は一陣の風に包まれた。
 桜の花びらを含んだ陣風は竜巻のように私の周りを巡り、やがて視界を埋め尽くした。

 まばゆい光が視界を埋め、世界が真っ白になった。

 

149: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:45:00.50 ID:1dmR7XxL0
 目が覚めると屋敷の地下室であった。
 固い地面に長らく身体を横たえていたせいか節々がみしみしと痛む。
 軽く動いて凝りを解しているとサンチョが階上からすごい勢いで飛んできた。
 曰く父がラインハットから呼び出しを受けてそこへ赴くことになったのだが、私の姿が見えないので慌てて探していたらしい。
 子供は日が落ちる前には帰って来るもんだからそれまではのんびり構えているが好いと云うとしかしそれでは坊っちゃんに何かあったのではと心配で、とおろおろしている。
 図体はでかいくせに存外小心者だ。もっとも召使が心配性なのは古今東西普遍の理であるから抛っておくことにした。

 

150: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:46:26.07 ID:1dmR7XxL0
 それで、父はどこにと聞くと先ほど坊ちゃんを捜しに外へと云うからそうか、じゃあ追いかけると云って家を飛び出した。
 辺りをぐるりと回ると父が居ない。出入り口の門番は見なかったと云うのでまだ村内におろうが、また例の洞窟へ籠もっているとなると厄介だ。
 洞窟の入り口の囲いに住むじいさんに話を聞こうと足を向けると教会の扉が少し開いている。
 中から祈る声が聞こえるので覗くとはたして父が祈っていた。
 傍へ寄って脇をつつくとむ、探したぞと低い声で話すから安心した。
 ここの所ベラといいサンチョといい甲高い声で話す者ばかりで辟易していたのだ。
 お前も祈っておけと云うので祈る神も居ないがとりあえず手を合わせて思念することにした。

 

151: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:48:04.57 ID:1dmR7XxL0
 不思議とポワンの顔が浮かんだ。同時にほとんど覚えていない母のおぼろげな面立ちも浮かんだ。するとその二つが溶け合って一つになった。
 ポワンと抱き合って慰めて貰った時の彼女の顔が確かこんな具合だったと思い出した。
 不意に心にひどく悲しい気持ちが生まれた。悲しいと云うより淋しいと云った方が好いかもしれない。
 ともかくそれに心を動かされた私はここ最近では久しく涙を零した。
 父がそれを見て驚いていたが何も云わなかった。

 

152: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:48:42.30 ID:1dmR7XxL0
 教会を出て村の入り口へ向かう道すがら父がさっきは何が悲しかったんだと問うた。
 私は母に会えないのが悲しい、と云おうとしてポワンに会えないのが、と云ってしまった。
 今のは間違えましたと訂正するが口にしてからではもう遅い。
 すると父が少し笑った。ポワンと云うとあの話に出てくる妖精か、と何やら知っている様子だから聞いてみると驚くべき話であった。
 ポワンというのはあるおとぎ話に出てくる妖精の女王で、ベラという側近を従えてあれこれ問題事を解決するのが話の本筋らしい。
 しかもはるかぜのフルートなる楽器まであって、それが出てくる話が特に母が好きだったそうで幼い私に何度か読み聞かせていたらしい。

 

153: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:49:21.88 ID:1dmR7XxL0
 私は少なからず絶望した。
 地下室で目を覚ました時によもや、と疑っていた感覚がここで確かとなった。
 ベラがビアンカとおかっぱ姉妹を混ぜたような雰囲気だったのも、スライムがみなぼくわるくないよとでも言いたげな顔をしていたのも、ポワンが母の情景を思い起こさせたのも偶然ではなかったのだ。
 全ては泡沫の夢と消えた。
 苦労が泡へ帰ったのもそうだが、何よりポワンとの邂逅が全て幻想だと宣告されるのも辛い。
 もしかしたら心の端で母を求める淋しさが堰を切ってあれを見せたのかもしれないが、そうだとしてそれを埋め合わせる手立てもないから一層淋しい。

 

154: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:50:58.73 ID:1dmR7XxL0
 もう二度と彼女の腕に抱かれることもないのだろう。
 そう思うとかっと目頭が熱くなって視界がぼやけた。唇を噛みしめて耐えるが喉が震える。胸もつっかえる。
 その場でうずくまって泣いてしまいたかったが、ぐっと堪えた。

 泣いても鬼が来るばかりだ。好い事など微塵もない。

 

155: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:51:40.86 ID:1dmR7XxL0
 村の入り口で父が振り返った。
 この旅が終わったら落ち着くつもりだ。そうしたらお前と存分に遊んでやれると云った。
 私が浮かない顔をしていたので元気づけてくれたのだろう。その心配りにまた目を潤しそうになるので有難うと一言云って村を出た。
 その時父がおい、何だそれはと聞いた。
 ポッケから何か出ているぞと云うので探ってみれば確かに長くて硬いものがある。
 はてなんだろうなと思って手に取るとそれははたして立派な桜木の枝であった。

 夢の最後に目にした枝は節から新たな芽が萌え出、美しい桜花を咲かせていた。

 

156: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 20:56:25.49 ID:1dmR7XxL0

少し休みます

何分初SSですからミスが多々あるかと思います
特に誤爆は他の方に迷惑がかかるので注意したいです
彼らには本当申し訳ない……

独自描写がありますが、本編の設定と整合性を取れるよう頑張ります

 

160: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:12:36.97 ID:1dmR7XxL0


 村を出て歩を東へ進めると大きな川に橋が架かっていて、武装した兵士が検閲を行っている。
 ここから先はラインハット領だから仕方がないがどうやって身分を証明するのだろうと思っていると、父が私はサンタローズに住むパパスという者だ、国王に呼ばれ云々と堂々と名乗りあげる。
 橋を検閲している兵士はあなたがパパス様ですね、連絡は貰っておりますと委細承知の様子だから驚いた。
 証明書も烙印もなしにあっさりと顔で通れる父が偉いのか、あるいはラインハットという国は余程お役所仕事を嫌うのだろうか。

 

161: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:13:19.97 ID:1dmR7XxL0
 橋を渡ると少し高いところに展望台があって、川の景色を望める。
 父がここの川の景色はなかなかのものらしいからお前にも見せてやると云って展望台まで連れて行ってくれた。
 上がってみれば確かに川は広々として清澄で実に美しい。その上父が肩車をしてくれたからなおさら眺めがいい。
 こういった風景を楽しめるから私は旅が好きだった。

 

162: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:14:42.96 ID:1dmR7XxL0
 気分を好くして辺りを眺め回していると父が何やら話しかけている。
 隣には老人が一人虚ろな視線で川を眺めている。
 父がもし、どうされたかなと聞けば抛って置いて下され、わしはこの国の行く末を案じているだけじゃてと無愛想だ。
 返事に愛嬌がないので父も興味を失ったらしくふむ、あまり風に当たると毒ですぞと挨拶を述べて目線を前に戻した。
 老人に行く末を案ぜられる国とはどんな国だろうか。
 福祉が行き渡っていないのか、それとももっと根本的な問題が潜んでいるのか、この時の私には到底考えのつかない話であった。

 

163: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:16:04.99 ID:1dmR7XxL0
 存分に川の景色を楽しんだ後、父がよし行くかと号令をかけて出立する。
 意気揚々と出かけたはいいが父が誤って帰りの方角へ足を向けてしまったのには苦笑した。
 あの老人のぼけがうつっているのかもな、と独り合点してラインハットへ向かえば日を跨がずすぐに着いた。
 城下町があるがかなり狭い。軒数だけ見ればひょっとするとサンタローズに負けているかもしれない。
 しかし城の方はとても立派で中々レヌール城にも引けを取らない。もっとも廃城と比べられては向こうとしても癪だろうが。

 

164: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:17:15.51 ID:1dmR7XxL0
 城門でゲレゲレを待たせた。城に魔物を連れ込んで反逆者になってはつまらない。
 城に入るといきなり兵士が何用だと剣呑に叫んできた。
 父が我々は王に呼ばれてやってきたのだがと困惑した顔で云うとこれは失礼を致しましたと途端に慇懃になる。
 何も城を訪ねたぐらいで怒鳴らなくたって良さそうなものだ。
 余程緊迫した政治状況に陥っているのか知らないが、それなら敵が来ては遅い城門より城下町を警備するがいい。
 兵士に連れられて城を進むと玉座の間に出る。玉座にはレヌール城とは違って生きた本物の王様が座っている。

 

165: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:18:05.68 ID:1dmR7XxL0
 王がそなたの勇猛さは聞き及んでおるぞと挨拶をするので父は光栄の至りと返す。
 すると実は頼みごとがあるのだがと云って父を傍に寄せて周りの者を下がらせる。
 当然この中には私も含まれるから兵士と共に玉座の間を追放された。
 父は暇なら城を見回ると好いと云っていたが、旅人の分際ではそう大した場所も見回れまい。
 そう思っていたが存外誰も私を監視することなく放置しているのでこっそり王族の住む部屋を見学することにした。

 

166: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:19:15.92 ID:1dmR7XxL0
 西の部屋には第二王子のデールというのと王妃が居る。
 ノックをして覗いてみれば私より年下の者が机に向かってひたすらに書き込んでいる。
 こちらに気づいた王妃が今デールはお勉強中ですから邪魔をせぬことと云って追い払う。
 継承第二位でもあの年から勉強させられるとは王系は楽な仕事ではない。
 王妃の機嫌を損ねない内にそそくさと部屋を出て東に向かえば第一王子ヘンリーと名札があるので覗いたらこれがまたすごい奴が出てきた。

 

167: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:19:51.89 ID:1dmR7XxL0
 今でこそヘンリーは奴隷の中でも一番の友として親しくしているがこの時の二人にはそんな様子は一片もなかったので、ここではその時の心情を余すことなく書くことにする。

 

168: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:21:12.18 ID:1dmR7XxL0
 部屋に入るなりやい、誰だと怒号が飛ぶので驚いた。
 初めにノックはしたが、と云って机に向かっている緑色の髪をおかっぱにしている者に相対した。
 ノックしてすぐに入る奴があるか、普通は返事を聞いてから入るもんだと云うのでそうなのか、知らなかったと云うとやっぱり庶民だなと見下す。おかっぱも王子の癖に庶民に対する口のきき方がなっていないようだ。
 お前はパパスとかいう奴の息子かと聞くので少しむっとしたがそうだ、と答えた。
 すると緑のおかっぱははん、俺は王子だから王様の次に偉いんだと云うので、僕は廃城に巣くう化け物を退治したことがあるぞと云うと嘘を吐くなと信じないようなので懐の宝玉を見せつけた。

 

169: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:22:05.85 ID:1dmR7XxL0
 これがその証拠だ、貴様らの宝物庫にもこれに勝る輝きの宝はあるまいと云ってやると王子がその玉を驚いて取り上げた。
 宝玉を見ている目は爛々と輝いていたがすぐに正気に戻って、こんなものが証拠になるか、王冠とか錫杖なら好いがこれはただの宝玉で別の所から仕入れたものかも知れないだろう、とやはり王族らしく頭が回る。
 そうか、なら信じなくても好いと云って宝玉を受け取ろうとすると相手は玉を持つ手を引っ込める。
 田舎者と同じ手が通じないのは感心だが、宝玉には心を奪われたと見える。
 何だよ、返せと云うがおかっぱは微動だにしない。
 代わりにお前なんぞのような貧乏人が持っていても仕方がないから俺が貰うなどと抜かす。

 

170: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:23:03.40 ID:1dmR7XxL0
 巫山戯るな、それはエリック王が感謝の印として私にくれた大切な品だぞ、返せと云うがやはり譲らない。
 お前を俺の子分にしてやると云うから何だそれはと聞くと俺の子分になれば存分にこき使ってやると不平等にもほどがある条約を向こうで勝手に締結する。
 こいつも弱者をいじめては喜ぶ輩とみたからぽかりと頭を拳骨でくれてやった。
 すると何すんだよと云うから貴様こそ人の感謝を何だと思ってやがると掴み掛った。
 こっちは戦闘慣れしているが向こうはぼんぼんの坊っちゃんだからてんで相手にならない。
 ザイルの時のように気絶されては癪だから手加減してぽかぽかと殴り続けているとしまいにはおかっぱが泣き出してしまった。
 これは兵士に見つかると面倒だなと思っていると唐突に部屋の扉が開いた。

 

171: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:25:18.10 ID:1dmR7XxL0
 見ると父が驚いた顔で立っている。
 私は急いで訳を話したが父はむっつりと黙り込んでしまった。
 これは久しぶりに怒鳴られるなと腹を据えていると父がおかっぱの耳元で何やら囁いている。
 よく分からないがおかっぱがあっさりと宝玉を譲り渡したところから察するに相当旨い甘言を巧じたようだ。
 宝玉を取り戻した私は満足して帰ろうとしたが父がそれを引き留めた。
 どうも王からやんちゃばかりしている王子の世話を任されたらしい。
 父の方も機転を利かして私とおかっぱの喧嘩をうまく利用する心積もりのようだ。

 

172: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:26:29.50 ID:1dmR7XxL0
 一つ腹案があるらしいがそれがまた驚くべき奇策だった。
 ヘンリー王子は生来人より上の立場にいてばかりいたから下の者の意見が分からない、だから一度人の下について勉強させるというものであった。
 しかもその上司というのが私だからおかしい。何も同年代の私を上に置かなくたって良さそうなものだ。
 おかっぱは父に打ち耳をされてからずっと殊勝にしている。あれはどうしてですかと聞けば王様が「パパスの云うことを聞かないと謹慎に処す」という旨を発布したことが明らかになった。
 あの年頃で謹慎処分はさぞ辛かろう。実際顔にも腕白の相が現れている。
 ともあれ父の教育がどれほど効力を発揮するか試したかったので早速おかっぱをこき使うことにした。

 

173: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:27:07.60 ID:1dmR7XxL0
 どうせ王子だから大したことはできないのでまずは肩を揉めと云ってやったらいきなり目を鋭くして反抗の兆しを見せやがる。
 謹慎だぞ、と呟いたら渋々従うから愉快だ。
 普段はおかっぱは人の上に立っているから立場的には強い者だ。だからこれは弱い者虐めではなく強い者虐めである。
 しかしやりすぎるとさっきみたように泣き出しかねないので加減が難しい。第一こっちも気分が悪い。
 これは教育だと自分に言い聞かせて色々やらせてみた。

 

174: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:28:22.20 ID:1dmR7XxL0
 すると王子のくせに色々できるから驚いた。
 むしろ私なんぞより高等な教育を受けているから戦闘の他ならおかっぱの方が優秀だ。
 あまり感心したので褒めてやったら別にお前なんかに褒められても嬉しくないぞと口では生意気だが顔はすこぶる嬉しそうだ。
 しばらくして褒めるのを止めたらおい、褒めろよとおかしな要求をしてくるから偉いぞと云って頭を撫でてやった。
 すると慌てて何すんだよ、と顔を真っ赤にしている。
 王子だから人に褒められても撫でられるのは馴れてないのだろう、あたふたしているのが面白いので見物していた。

 

175: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:29:27.90 ID:1dmR7XxL0
 ふと船で見かけた黒いおかっぱのことを思い出した。
 あの生意気なる某もこの緑のおかっぱのように上の身分に永らく甘んじていたせいで人に振り回されるのに馴れていなかったのだろう。
 道理で人が撫でてやったのに不満そうな顔をしていたわけだ。
 目の前の奴は満足げな顔をしているのでこちらとしても気分がいい。
 機会があればもっとかき乱してやろう。
 

 

176: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:30:28.09 ID:1dmR7XxL0
 しばらくしてさせることがなくなった私は部屋を鑑賞し始めた。
 王城なだけあって調度品も並大抵ではない。材質もニスも上等でぴかぴか光っているし絨毯は赤い天鵞絨だ。手入れも無論行き届いている。
 見ると部屋には奥へ続く扉がある。出入り口が二つもあるのかと思って覗いてみると一回り小さい個室であった。
 一人で部屋を二つも使うとは贅沢な限りだが何よりその部屋に宝箱が置いてあるのに驚いた。
 あれは中に何が入っているとおかっぱに聞くといやあ、そのう、と判然としない。
 見てもいいかと訊くと駄目だと突然拒否されたのでますます気になる。
 貴様は今僕の子分なのだから反対できる立場にない、そこで待っておれと云って宝箱のある部屋へ入った。

 

177: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:31:11.55 ID:1dmR7XxL0
 もし不埒な物品でも入っていれば没収してやろうと思って蓋を上げてみれば、中に何もない。天鵞絨が裏打ちされた底面がこちらを向いているだけである。
 少しく落胆したが変なものが入っていないことに安心した私は元の部屋へと戻った。
 するとさっきの部屋におかっぱが居ない。
 廊下から逃げたかと思って部屋を出ればやはり居ない。
 見張りをしている父に今ここにおかっぱが通りませんでしたと聞くとおかっぱとは誰だと云うので緑色の第一王子ですと云ってやっと通じた。

 

178: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:32:30.74 ID:1dmR7XxL0
 父もおかっぱの姿は見てないらしいからまだ部屋にいるんだろうが、うまく隠れたものだ。
 調度品は上等でその分余計な隙間などがないから隠れるのも苦心するはずだ。
 これは見つけてやらないと可哀想だぞと思ってあちこちを探るが居ない。
 隣の部屋も念のため調べたが居ない。空っぽの宝箱があるばかりである。
 もしやと思って壁を手伝いに探るが隠し扉の類はない。天井にもなさそうだから天鵞絨の絨毯をめくって床を調べてみるとはたしておかっぱが当初座っていた椅子の下に跳ね上げ戸がある。

 

179: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:33:17.26 ID:1dmR7XxL0
 蓋を上げて中へ身体を滑り込ませると途中で足場が消えた。
 そのまま重力に任せて落下すると石畳が見えた。まずい。
 咄嗟に受け身をとって被害を最小限に抑えたが不意に落下しただけあって体中が痛い。息も詰まって一層苦しい。

 

180: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:34:02.34 ID:1dmR7XxL0
 すると体中を撫で回す者が居るから何だと思ったらかのおかっぱであった。
 先の跳ね上げ戸から逃れたらしいが、私が落下してきたのを見て驚いたんだろう。
 大丈夫かと云って身体をさすってくれるが患部はそこではない。
 受け身で弾いた手のひらと肋骨がひどい有様だからそこを慰めろと云いたかったが、痛くてとても声が出ない。涙まで出るから恐らく打ち身で済んでいない。
 ただおかっぱの温情は心に沁みたのでそれで良しとした。

 

181: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:35:51.58 ID:1dmR7XxL0
 後でなぜ逃げたのか聞いてみるかと思っていると部屋の外で足音がする。
 おかっぱが振り向く。
 外へ通じる扉が荒々しく開け放たれた。

 

182: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:37:26.19 ID:1dmR7XxL0
 扉の外にはあらくれが立っていた。王城に似つかわしくない容貌の男たちに不審を覚えているとそいつらがこちらへにじり寄ってきた。
 すると突然おかっぱの身体を持ち上げて扉の外へ連れ去ってしまうには驚いた。
 こりゃいかんと追いかけようとするが先の落下で身体が動かない。
 ホイミを全力でかけるが一向に治らないところを見ると肋骨が折れているかもしれない。
 魔力切れ寸前までかけ続けてどうにか動けるようになったので、追うと奴ら筏なんぞを王城に着けている。
 妙に用意の良い奴らだと思うと東へ退路を取った。
 どこへ向かったか分からないがこの体では精々父に知らせるのが限度だろう。

 

183: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:39:12.91 ID:1dmR7XxL0
 這々の体でおかっぱの部屋まで戻ると父がどうやって抜け出したと驚いている。
 説明している暇がないのでヘンリーが攫われましたとだけ云うと父がはったと顔色を変える。
 他の者には云ったかと聞くのでいえ、まだ云いませんと云うとほっと息をついた。
 城の者を混乱に陥れるのが心配らしいが王子が攫われてそれを内緒にしておくのは万が一発覚した時に危ういのではないか。
 しかし父は必ず捕まえてやるとでもいうような大気焰を上げているので心配なかろう。

 

184: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:40:11.99 ID:1dmR7XxL0
 どこへ向かったと問うから東に行きましたと云ってついて行こうとするがやはり身体が痛い。
 実は怪我をして動けませんと云うと父がどうしたと聞く。暇がないから、誘拐連中にやられましたと云うと父の目が一層険しくなって目に怒りの色が浮かんだ。
 この様子では悪漢共の寿命も永くはあるまい。
 一階の神父様に手当してもらえ、とだけ云うと疾風の如く駆け抜けて行く。
 安心して一階まで行くがどこに神父が居るか分からない。周りの者に訊いてそこを目指すことにした。

 

185: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:42:08.16 ID:1dmR7XxL0
 厨房らしき部屋があったのでボイに話しかけるとそいつは素っ頓狂な声を上げて飛び上がる。
 何だと思えばヘンリー王子かと思って驚いたのだと云う。
 普段悪戯好きでやんちゃばかりしているからみんな困っているらしい。
 それなら王か乳母にでも云えば好かろうと云うとそれだと王子が可哀想だから、と答える。
 話を聞くと中々不憫な話であった。それについては後で書くとして、中々面白いのがボイの顔である。
 後ろから背中に蛙を入れられるという悪質な悪戯をされている癖に笑顔でそれについて話しているからよっぽど王子を気に入っているんだろう。

 

186: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:43:06.72 ID:1dmR7XxL0
 何だか気分が良くなったのでここの料理はさぞ美味しいでしょうねと世辞を云うともちろん、王子の好きなものばかりが入っていますからとあまり見上げられないことを云う。
 わざわざ好きなものを選んで作ってくれるのはありがたいが、嫌いを克服させるのも肝要だろう。
 ここのコックもポワン様みたように甘い。
 肋を抱えて辺りを巡るとボイが云う礼拝堂が見つからないのでそこらの人間に手当たり次第に話しかける。
 ついでにヘンリーについても聞いてみれば不憫だ、やんちゃだ、抛っておけないと皆一様に云う。案外愛されているようで安心した。

 

187: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:44:14.93 ID:1dmR7XxL0
 奥まで歩いてようやっと小さな礼拝室がある。神父に二階から落ちてしまって怪我をしました、診て下さいと云うと神に仕えた身のくせに寄付金とかいって金銭を求める。
 さも当然のようなその態度に腹が立ったので有り金をあるだけくれてやった。
 戦闘を随分こなしたから貯まりに貯まって二千ゴールドは優にあるだろう。

 

188: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:44:54.06 ID:1dmR7XxL0
 金にがめつい神父もこれには魂消たと見て直ぐにベホマで完治してくれた。
 どうして二階から落ちたんですと聞いてくるが、王族の住む部屋に隠し階段や扉があるのを他の者に知られてはまずいので本当のことは話せない。
 実は木に移ろうと飛び降りたんですと嘘を云った。
 するとやんちゃも結構ですが、怪我をしては馬鹿ですよと生意気なことを云うので次は綺麗に着地して見せますと憤慨した。

 

189: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:45:38.50 ID:1dmR7XxL0
 父が東に向かったので待たせておいたゲレゲレを連れて追いかけてみるとひどい臭いの沼地がある。
 奥に古びた入り口があるのでここが隠れ家らしいと見当をつけるが沼を渡る術がない。
 恐らく足を着けたらずぶずぶとはまって抜けなくなってそのまま沼の一部になってしまうだろう。

 

190: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:46:57.78 ID:1dmR7XxL0
 沼の前であぐねているとゲレゲレが沼に向かって跳んだので仰天した。
 おやおやと狼狽しているとゲレゲレが何のこともないように沼の上を歩いて行くからさらに魂消た。
 そこらの枝を手にとって沼へ突き刺すと何のことはない、表面から底まで精々子供の足首程度で随分浅い。
 拍子抜けして沼を渡り歩くがそれでも泥の冷たいのと気を抜くと蛭が吸いついて来るには参った。
 おかげで体力が大分奪われた。魔力もさっきのホイミ連で底を尽きそうだから今魔物に襲われると危ないかもしれない。
 安全な遺跡であることを祈りつつ古びた遺跡へ入った。

 

191: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:47:32.44 ID:1dmR7XxL0
 中には案の定魔物の気配がしていたが道中はあまり出くわすことはなかった。
 大方父が掃討してくれたんであろうが、それにしても最初におかっぱを拐ってここに逃げた連中が一番苦労をしそうなものだ。
 こんな土偶やら笑い袋やら不気味な魔物が巣くう遺跡へ逃げるとは大した根性だが、もっとも誘拐なんぞ卑怯な真似をしなくたって金を稼ぐ方法はいくらでもあるだろうに、あのあらくれ達は余程馬鹿だ。
 これは教育が必要だぞと思いながら進むとなんとその馬鹿共が卓を囲んで一杯やっている。
 おい貴様らヘンリーを何処へやったと怒鳴り込めば、あらくれどもは椅子からひっくり返った。

 

192: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:48:29.98 ID:1dmR7XxL0
 よく見れば大の大人三人が固まっているのでこれは分が悪いぞと幾度目かの無鉄砲を恥じたが、連中は酩酊していてそれどころではない。
 足も目線もふらふらと覚束ないから向う脛をかしのつえでえいや、とくれてやるとうぎゃあなどと一人で驚天動地している。
 二人が慌てて臨戦態勢に入るが一方はゲレゲレに組伏され、もう一方は足元の椅子に躓いてまたひっくり返った。
 子供と猫に壊滅させられる軟弱さは見上げたものだが、あろうことに王族を誘拐する無礼は許しがたい。
 頭に被ったあらくれマスクを外していやあ、はああ、ぼこぼんぼこぼんと頭をど突いてやったら気を失ってしまった。
 生きている方になぜこんな真似をしたと凄むと回らない呂律で事情を説明しだした。

 

193: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:49:34.25 ID:1dmR7XxL0
 妖精の村にいた老人よりよっぽど聞き取りづらいので難儀したが、どうにか掴んだ要領はこうであった。
 現ラインハット国王の世継ぎは第一王子のヘンリーであるが、自分の実の子のデールが王位を継承できないのを苦にして、王妃がヘンリーの暗殺を企てたという。
 そのために雇われたこのあらくれどもだが、何も殺す必要はないと独断でヘンリーを怪しいどこぞへ売り飛ばすことにして、その金が入るのを皮算用して飲みまくっていたらしい。
 私は何から何処から云ったものか困ったが、酔っ払いに説教するのも時間が惜しいのでヘンリーの居場所だけを聞いて連中を置き去りにした。
 無論生き残りもいやあ、はああ、ぼこぼんぼこぼんをくれてやった。

 

194: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:50:32.81 ID:1dmR7XxL0
 通路を進むとやがて父の姿が見えた。魔物と戦っていたが父の闘気たるや凄まじく、一振りで幾匹もの魔物を滅ぼしていた。
 振り返った父がおお、ここまで一人で来られるほど強くなったかと感慨を覚えているので一人じゃありません、ゲレゲレがいますと云った。
 私は今やゲレゲレを手放すのが惜しくなっていた。終生一緒に居られはしまいが、出来る限りこいつの面倒を見てやりたいと思った。

 

195: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:52:48.22 ID:1dmR7XxL0
 父がホイミをかけてくれたが体力が回復するだけでなく不思議とあらくれ共の酒気に当てられた頭もすっきりした。本当にただのホイミなんだろうか。
 それも傷がつく度に深浅見境なく使ってくるから贅沢だ。
 もっとも父がホイミで魔力切れを起こしたところは見たことがないので不安はなかった。
 先へ進むと水路があって、筏を使って渡って行くと牢獄みたような施設がいくつかある。
 中にはしかばねがいくつかあって当然ながら返事がない。
 ここがレヌール城だったらひょっこり起きてきてもおかしくないがこんなところにおかっぱが閉じこめられていると思うと胸くそが悪い。

 

196: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:55:36.72 ID:1dmR7XxL0
 新しいしかばねがないことを祈っているとはたして緑色のおかっぱが目に映った。
 父が牢の扉に手をかけるが鍵が掛かっているのかびくともしない。
 すると父が雄叫びを上げて扉に突進した。がしゃあんと派手な音を立てて扉が吹き飛んだ。末恐ろしい。
 中へ駆け込むとおかっぱは遅かったじゃないかと余裕な口を利くので怪我はないだろうなときつく訊ねるとうん、ないよと萎縮する。
 恐かったろう、もう大丈夫だと云ってやると別に、どうもなかったよとやに強情だ。
 顔はまだ意地を張っているが身体は震えているのでやはり恐かったと見える。
 そう強がるなと云って頭を撫でてやったらもう子分じゃないんだからやめろよなと赤い顔で睨まれた。しかし不満げな顔をされそうだからやめない。

 

197: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:56:20.59 ID:1dmR7XxL0
 さあ帰ろうと手を引っ張るとおかっぱが動かない。代わりに顔を昏くして俯いている。
 どうしたと聞くと俺は帰らない、俺は居ない方がいいんだなどと途端に弱気になる。
 俺はやんちゃで乱暴者で出来損ないだからみんなに恨まれてるんだ、だからこんな目に遭ったんだ。俺が戻っても喜んでくれる人が居ないから戻らない。王位も弟に継がせると叫んで牢の中に閉じこもる。

 城で聞いた話によるとヘンリーは小さい頃に母を亡くしているらしい。王は再婚して新しい母ができたそうだが、その母は自分で産んだ弟の方ばかり可愛がって前の妻の子のヘンリーには見向きもしなかったという。
 あまつさえ暗殺まで企てる始末だ。一体ヘンリーがあの王妃に何をしたというのか。

 

198: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:57:27.70 ID:1dmR7XxL0
 親に疎まれるというのはどんな気持ちだろう。優しい父を持つ私には想像もできない苦しみに相違ない。
 それも第一王子だから周りの人間は遜ってばかりで怒ったり対等の立場で話したりなどしない。誰が彼を真に理解しただろう。
 私は父を省みた。父は黙って頷いた。

 

199: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:58:35.30 ID:1dmR7XxL0
 ヘンリー、よく聞き給えと前置きをして、君は自分が愛されていないと思っているようだが考えてみて欲しい。もし君を抛っておくつもりならわざわざ旅人を呼び寄せて君の教育をさせるだろうか。部屋の片づけや掃除もあれほど丁寧にやるだろうか。好きな食事ばかり作ってくれるだろうか。何より君が悪戯をして、人々はそれを笑って見ている。嫌いな相手ならもっと憎しみに満ちた表情をしているだろう。君の周りにそんな顔をしている人はいたか。よし居たとしてそれは大した人間か。どうせ我が子が可愛いだけの阿呆ではないか。そんな俗物に疎まれていたとて周りの人間がみんなそうだと考えるのは早計だろう。今一度、自分に向けられた目に向かって瞼を見開くが好い。
 君の肉親は――君の父は、どんな顔をしていたか。

 

200: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 22:59:29.79 ID:1dmR7XxL0
 そこまで云って少し休んだ。
 口下手だから旨く云えたか自信がないが私は自身の考えを率直に述べたまでだ。
 後はこれをヘンリーがどう捉えるかだろう。
 ヘンリーは暫く牢で膝を抱えていたが、やがて帰りたいと云って膝に顔を埋めた。
 帰ってどうしたいと訊くと父さんと話したいと肩を震わす。
 再びヘンリーの頭に手を置いてそれなら帰ろう、こんな土偶としかばねの巣窟は君だって嫌だろう、と云った。頭が縦に振られた。

 

201: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 23:00:46.76 ID:1dmR7XxL0
 落ち着くまでしばらく撫でているとすっかり元気を取り戻したようで、もう撫でるなよと忠告してきた。
 君がもう泣かなければな、と返して元の入り口を目指す。
 帰りの道中は楽だろうと思っているととんでもない、先ほどとは比べものにならない数の魔物に襲われた。
 ヘンリーも加勢したが如何せん力がないので有効打を与えられない。君は呪文でも唱えていろと云うと俺に命令するなとすこぶる元気そうで結構だ。
 その内三人と一匹では捌ききれなくなって後退しそうになるが父がここは私が引き留めるから先に行けと指示をする。
 少し父が心配だったが向こうはもっと心配するのを押し殺しているだろうから我慢してヘンリーとゲレゲレを連れて入り口を目指す。

 

202: ◆HACkWQpQbk 2016/10/22(土) 23:01:45.61 ID:1dmR7XxL0
 豹のゲレゲレは云うに及ばず、私もヘンリーもそれなりに健脚なので入り口までは早かった。
 やがて通路に光が射し込み、外へあと一歩となった。
 その時、一つの顔がぬっと通路を塞いだ。


 私はこの顔を終生忘れない。

 

210: ◆HACkWQpQbk 2016/10/23(日) 19:08:18.02 id:CZOHWLHW0
 紫のローブを纏った青い肌の人間である。それも顎が異様に長く先端が橙色に塗られているのでおよそ尋常の容貌ではない。
 そいつはほっほっほと掴み所のないふわふわとした声で笑い、逃がしませんよ坊や達と実に悠々と喋る。
 あのあらくれ共が呼んだ人身売買の買取人だろうか。
 私はどけ、邪魔だと叫んだが向こうは威勢がいいのは結構ですが子供の身分ではただの虚勢ですねと慇懃無礼だ。
 何だか舐めきっているような態度に腹が立ったので不意打ち気味に殴りつけたがまったく動きが読まれていたかのように呆気なくかわされてしまった。
 なんのこれしきとかしのつえを振り上げるがふわりふわりと人間らしくない動きで翻弄される。

 

211: ◆HACkWQpQbk 2016/10/23(日) 19:09:17.05 id:CZOHWLHW0
 素早いゲレゲレが勇猛に飛びかかるがなんと相手は我々の身の丈ほどもある巨大な鎌で応戦しやがる。
 剣呑さに怯んだゲレゲレが奴の呪文を真向かいに受けた。
 メラミと思しき火球がゲレゲレの肌を焼いて私とヘンリーの後ろにまで吹っ飛ばした。
 これまで出会った魔物を遙かに凌ぐ火力に私はその場に立ちすくんだ。
 雪の女王だってここまで強い威力の攻撃は出せなかったろうに、この紫野郎はいとも簡単に繰り出す。
 私は戦闘の経験に基づく直感で彼奴の危険を察知したが、ヘンリーはそれを見て逆に動転していた。
 声を上げて突っかかると紫ローブは鎌をヘンリーの脳天めがけて振り下ろした。

 

212: ◆HACkWQpQbk 2016/10/23(日) 19:10:05.23 id:CZOHWLHW0
 危ない、逃げろ。と云う私の叫びも届かず、ヘンリーはそれに向かって勢いをつけたまま突進した。
 すると紫ローブの持つ鎌の柄にヘンリーの側頭部が当たった。
 非常な勢いで振り下ろされた重量物を頭に貰ったヘンリーはその場でひっくり返ってしまった。
 しかし鎌の刃が当たらなかったのは幸いだ。
 ヘンリーがあまり猪突猛進するから目測が外れて柄までたどり着かせてしまったのだろう。

 

213: ◆HACkWQpQbk 2016/10/23(日) 19:11:09.03 id:CZOHWLHW0
 紫はほっほっほ、まあいいでしょうと不気味に笑ってこちらに目線を寄越した。
 その目の残虐な光に私は思わず怯えてしまった。
 動物や子供を殺すことに何の躊躇いもない、冷酷の限りを尽くした目だった。
 いくら魔物だって、ここまで情を捨てられるものか。こいつは奸佞の権化だ。
 鎌をローブの中へしまい、この下魔から逃げられるとは思わないことですと悠然と構えている。
 これが下魔なら真の魔は余程恐ろしい奴だ。今はその下魔に蹂躙されているのだからもっと上位の魔が来ていたらきっと死んでいたに違いない。

 

214: ◆HACkWQpQbk 2016/10/23(日) 19:12:46.74 id:CZOHWLHW0
 どうしてこの下魔を退けられるか、そして倒れたゲレゲレとヘンリーを担いで逃げられるかなど色々な策が頭を巡った。
 しかし、どれも叶いそうにない。ここで死ぬのかと冷静な判断が背筋を走った。
 すると下魔がおや、存外お早い到着ですねと私の背後に投げかける。 
 振り返ると剣を握りしめた父がいる。
 私は父さん、と叫んだ。
 父は頷いて下魔へ向かって吶喊する。
 下魔は行きなさい、邪魅、権途と何やら仏教めいた名を呼ぶと父の前に馬と牛の化け物が姿を現した。
 どちらも猛り狂う獣の如き暴凶な威風を放っていたが、怒れる父の前にはそれも不足であった。

 

215: ◆HACkWQpQbk 2016/10/23(日) 19:14:31.12 id:CZOHWLHW0
 疾風怒濤と剣を振り、化け物を打ち倒した父は云い残すことはあるかと下魔へ訊ねた。
 しかし下魔は相変わらずほっほっほだ。父の一騎当千ぶりを見ても恐れるどころか余裕な態度を続けている。
 見事な戦いぶりですね、さすがはエルヘブンまで独力でたどり着いただけはあると何やら委細承知の様子だ。
 なぜそれを知っている、と父が驚くがやはりほっほっほと笑うだけではぐらかす。
 その時下魔が何やら呪文を唱えた。しまったと思ったときには既に私の身体はまるで動かなくなってしまった。
 下魔が例の巨大な鎌を手にしてこちらへ向かってくる。迫られる間中すら身体が動かないことに心底恐怖した。
 父が疾風と駆けるが下魔が一足早かった。

 今や鎌の鋭い刃は私の喉元にあてがわれている。

 

216: ◆HACkWQpQbk 2016/10/23(日) 19:15:11.40 id:CZOHWLHW0
 下魔が回復呪文を唱えた。
 すると倒れていた邪魅と権途がむくりと起き上がり、父を睨みつける。
 下魔はこの子供の魂が地獄を永遠に彷徨ってもよろしいなら、存分に戦いなさいと実に楽しそうに云う。
 父は剣を手にしたまま固まってしまった。
 息子の命を天秤に掛けられては何が一方へ置かれようと傾く腕は極まっている。
 手にした剣はゆっくりと元の鞘へ納められた。

 

217: ◆HACkWQpQbk 2016/10/23(日) 19:16:51.62 id:CZOHWLHW0
 駄目だ。父さん、逃げて。
 声が出ない。それどころか瞬き一つできない。瞼を閉じられないから、目の前で起こっていることは全て、余すことなく私の眼に入ってしまう。
 よくもさっきは、と馬と牛の化け物が身体を怒りに震わせ父の前に立ちはだかる。
 父の目に宿る闘志は尽きてはいなかったが、私の首へ浅く食い込んだ鎌によってそれも鎮められていた。

 

218: ◆HACkWQpQbk 2016/10/23(日) 19:18:25.48 id:CZOHWLHW0
 馬が父の顔を張る。口が切れて血が零れているが父は拭おうともしない。

 牛が胸をどつく。馬が足を蹴る。牛が腹を殴る。馬が脇を殴る。牛が鼻っ柱を折る。鳩尾を突く。眉間を割る。顎を砕く。膝を割る。指を折る。肩を外す。あばらを砕く。額を割る。……

 目玉を動かせない私は全てを見た。くつくつと笑う外道の手元で鎌を喉へ押し当てられながら、目の前で父が嬲られるのをじっと見据えていた。
 自分の身体をいたぶられるよりもよっぽど苦しかった。はらわたをくり抜かれて目の前で火にくべられているような心持ちがした。あるいは鏡の前で拷問をされているようだった。

 

219: ◆HACkWQpQbk 2016/10/23(日) 19:19:33.49 id:CZOHWLHW0
 舌を噛み切ることも許されず、涙を流すこともできず、毫も動かせない身体はただそれを眺めていた。
 父が膝を着いた。もはや立っていられないはずの傷を全身に負いながらも、父は倒れなかった。
 百の矢を受けた弁慶が亡骸になってなお立ち続けたように、父もそれを追わんと立ち上がった。
 息を吸い込み、力を溜め、反撃の機会が万一訪れたなら決して逃すまいと目を爛々と燃やす。
 しかし邪魅も権途も下魔も、ただそれを嘲笑っていた。無傷の皮膚が見えない父をそれでもいたぶり続けた。
 パパスはただひたすらじっと耐えていた。

 

220: ◆HACkWQpQbk 2016/10/23(日) 19:21:29.18 id:CZOHWLHW0
 下魔が鎌を下ろし、それに合わせて邪魅と権途も手を止めた。もはや人質も要らない。
 父は辛うじて息があった。呪文をかけても治りそうにない傷があちこちにできているにも関わらず、敢然として立っていた。
 そろそろ好いでしょう、存分に楽しみました。と下魔が父の前に立つ。
 指を振り上げ、呪文の詠唱を始めた。魔力が集積し、指先に小さな火が灯る。
 それはやがて大きくなり、人の子供程度、さらに大きく、大人と同じく、さらに大きく、視界を覆うほどになった。
 下魔が呪文の詠唱を終え、それを抛り投げる一瞬、凄絶な叫び声が木霊した。
 それは男の生の最後の煌めきだった。

 

221: ◆HACkWQpQbk 2016/10/23(日) 19:22:32.96 id:CZOHWLHW0

 「お前の母は生きている。私の旅はそれを果たせなかったが、お前になら出来る。母さんを捜してくれ。それが最後の私の希望であり、悲願だ。――生きろ!」

 

222: ◆HACkWQpQbk 2016/10/23(日) 19:23:41.15 id:CZOHWLHW0
 業火が父の身体を包んだ。最後の父の叫びは今でも耳から離れない。
 

 

223: ◆HACkWQpQbk 2016/10/23(日) 19:25:21.48 id:CZOHWLHW0
 火球のほとぼりが冷めて視界が開けたが、父の姿はどこにもなかった。
 代わりに父が後生大事に手入れしていた剣が突き立ち、他はただ黒い炭のような跡が地面に焼き付いているだけだった。
 子を思う親の気持ちはいつ見ても好いものですね。と甲高い声が響きわたる。
 私は涙こそ流せなかったが、心ではきっと泣いていた。
 激しく疼く胸はただ徒にその振幅を強めるばかりで一向に治まらなかった。
 そうして下魔に飛びかからんとする怒りだけが虚しく体の中に納まっていた。

 

224: ◆HACkWQpQbk 2016/10/23(日) 19:26:19.18 id:CZOHWLHW0
 安心なさい、息子達は我ら光の教団の元で奴隷として一生幸せに暮らしますよ、ほっほっほと胸○ソの悪い顔が目の前をよぎる。
 これほどまでにはらわたが動転して憤ったことはたとい百人の一生の内にもないだろう。
 動かない身体がただ恨めしい。魂だけそこから飛び出して、奴に掴みかかればどれほど好かったろう。
 邪魅がヘンリーを、権途がゲレゲレを担ぎ上げた。
 すると下魔がそのキラーパンサーは捨て置きなさい。飼い主から離れれば元の魔性を取り戻すでしょうと云ってゲレゲレを遺跡の外へ抛り投げた。

 

225: ◆HACkWQpQbk 2016/10/23(日) 19:27:21.49 id:CZOHWLHW0
 入り口の沼にはまってしまわなければ好いが、と心配するのも束の間、下魔が私の懐に手を差し入れた。
 やめろ、と叫ぶのは心ばかりで胸も喉も微動だにしない。
 下魔が懐の宝玉を手に取った。顔は不審げだったがそれもすぐに例の薄気味悪い邪悪な笑みへと変貌した。
 そして両の手のひらで挟み込み、そのまま万力の要領で宝玉を締め上げた。
 ぴし、と一つひびが入れば後は流れるようだった。
 私の目の前で宝玉は粉々に砕け散った。
 魔力を込めたのか、欠片すら見る見る内に粉々に砕けてゆき、最後は塵になって見えなくなった。

 

226: ◆HACkWQpQbk 2016/10/23(日) 19:28:34.86 id:CZOHWLHW0
 下魔が一際高い声を上げる。
 両腕を伸ばして魔力を滾せ、下魔率いる一行と私とヘンリーを紫色の靄が覆った。
 靄は段々と濃くなり、一行は辺りの景色から一切隔絶された。
 しばらくして靄が晴れた時、私とヘンリーは今いる神殿の牢獄内にいた。

 

227: ◆HACkWQpQbk 2016/10/23(日) 19:30:35.30 id:CZOHWLHW0
 以上が私の体験した六歳である。
 そこからは奴隷としてひたすらこき使われる過酷な十年だったが、不思議と精神的な辛さはそれほどでもなかった。
 それは無二の親友であるヘンリーが共に居てくれたからでもあり、文学が天から降ってきたからでもあり、もう一つは母が生きていることを知ったからでもあった。

 

228: ◆HACkWQpQbk 2016/10/23(日) 19:32:10.31 id:CZOHWLHW0
 全てを失った当初は絶望に明け暮れていたが、ただ一つ残された親友と本と心の母が私を生かしてくれたのだ。
 特にヘンリーは私の人生を現世へ繋ぎ止めてくれた楔だ。
 生きている実体が傍にあるというだけで、この辺獄に殺されかけた魂を何度慰められたか分からない。
 彼にはいくら感謝してもしきれない。
 面と向かって云うのは気恥ずかしいし、それがなくとも我々は互いを知れるのだからここにだけ書くことにする。
 ありがとう、ヘンリー。

 

229: ◆HACkWQpQbk 2016/10/23(日) 19:34:13.53 id:CZOHWLHW0
追記

 これをヘンリーに読ませた時、彼は何度目か分からない頭を私に向かって下げた。
 お前の親父を殺したのは俺だ、俺が攫われたりしなければと必死に謝っていたから私は幾度目か分からない慰めを云った。
 悪いのは下魔とそれを呼んだあのあらくれ共だ。元をただせば王妃でもある。大人共の謀略に対し矮小な餓鬼だった我々に何ができようかと云った。
 それでもヘンリーは浮かない顔をしているので、私はお前がいなければ今頃絶望の淵で死んでいた、だからお前は命の恩人なのだ。それで好いじゃないかと重ねた。
 ヘンリーは一言ありがとうと云ってまた横になった。

 

230: ◆HACkWQpQbk 2016/10/23(日) 19:35:24.56 id:CZOHWLHW0
 我々は互いに感謝と負い目があり、そして確たる信頼がある。
 これほどまでに完成された、美しいとまで形容できる親愛を築けたのは先と今のような特殊な状況に身を置いているからだろう。
 もし脱出に成功して二人が各自の道を歩んで離れたとき、これが全体どの方向へ転ぶか知れぬ。
 前はまだしも万が一後ろへ転倒したら、ただでさえ失い通しの私は自分の心をうまく制動できるか自信がない。
 自由を前にしてなお我らの友好が永遠不滅となることをただ祈るばかりである。

 

231: ◆HACkWQpQbk 2016/10/23(日) 19:37:53.58 id:CZOHWLHW0

以上で幼年期は終わりです
青年期以降は少し時間がかかるかもしれません

ドラクエVの主人公はシリーズを通しても随一を誇る不幸者であり、人生の体現者です
ゲームではあまり触れられませんが、彼の内面には計り知れない苦悩と葛藤があったように思います
特に青年期は精神的に成長してそれが甚だしくなっていたに違いないので、描写には一層力を入れたいですね

不手際で迷惑を被られた板の方々に重ねてお詫びします
申し訳ありませんでした

支援してくださった方々には感謝の気持ちでいっぱいです
ありがとうございました

ではこれにて

 

233: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/10/23(日) 20:01:33.18 id:yUXMzv/Mo

この幼年期の終わりは絶望に満ちてたな
初プレイのときはビックリした

 

241: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2016/10/26(水) 14:45:31.57 id:cuL+Dpq40
かなり好き

 

引用元: ・サンチョ「坊つちやん」